■ 20年越しの蔵見物
ぼくが、前回、能登半島を旅したのは、じつに20年前のこと。あのときもオートバイでソロツーリングだった。
別にどこへ行こうというあてなどなく、ただ、旅先で出会った人から勧められた場所を繋いで旅していくという、
まさに流れ旅だった。得てして、そんな旅のほうが、いろいろな出会いに恵まれていたりするものだ。
そのときも、能登を回ろうなどという気はなかったのに、高岡のYHで出会ったバックパッカーが、
「能登に、とっても不思議な空間があるから行ってみな。間違いなく、価値観が変わるからさ。
騙されたと思って行ってみな」と、熱心に説くので、足を伸ばしてみる気になったのだった。
そこは、能登半島の突端に近い山間の村、柳田村にあるとある旧家の蔵だった。
そこを訪ねて、たしかに、ぼくは頭をガツンと一発やられたような感動というか精神的衝撃を味わった。
あれから20年、また、同じような衝撃が味わえるのかどうか、
奥能登のしみじみとした風情を楽しみつつ訪ねてみたいと思った。
■ 自然に合わせた人の営みを垣間見る
本来は、大都市圏のほうからアプローチして旅を進める形を紹介するべきなのだけれど、
今回の旅は、能登半島を時計と反対回りする形で、回ったために、このルート紹介は大都市圏から見ると
もっとも遠い場所である禄剛崎からスタートする形となる。
もちろん、単にルート紹介だけなら、反対向きの行程に再構成する手もあるのだが、
ここは旅の臨場感を大切に、逆向きのままに紹介したいと思う。
禄剛崎から少し南に下った鰐崎キャンプ場(中部104D3)に前日テント泊したぼくは、
早朝にテントをたたみ、南下をはじめた。ここから夕陽の美しさで有名な曽々木海岸あたりにかけては、
海に面した岩礁沿いの道で、海が穏やかなときはいいが、一度荒れると、波しぶきを被りながらの走行となる。
この日は、幸いにして海はないでいた。
R249を南下していく途中に揚浜塩田がある。海水を汲んで、均した地面に撒き、
天日で乾かして塩を得る古来からの製塩法を守っているところだ。
この先、白米には急峻な斜面を無数の石垣で段々に区切って米を作っている「千枚田」があるが、
揚浜塩田にしても千枚田にしても、厳しい気候の中で健気に生きてきた人の営みがひしひしと伝わってくる。
曽々木(中部104A5)から県道6号を内陸へ折れると、風景は一変する。
左に平家滅亡とともに配流された平時忠の子である時国を祖とする下時国家と上時国家を見て
広く交通量の少ない道を山間へと進むと、まるで時間が止まってしまったような、
穏やかな山村風景が続いていく。同じ能登でも海沿いは、自然のダイナミックさと、
それになんとか折り合いをつけて生きている人々の営みが健気に見える。
でも、内陸に入ると、穏やかな自然の中で、そのリズムに合わせて人が生きている感じがする。
なんだか、たなびく煙まで穏やかに見える。こういう道は、あせらずゆっくり行くのがいい。
■ 観光じゃなくて閑古...
今回のぼくの旅のメインイベントである柳田村黒川の中谷家を訪問する前に、
緑に囲まれた柳田温泉(中部103A2)に寄った。別にこれといった観光地でもないので、
平日の昼間には湯浴みする客も皆無で、一人静かにセミの鳴き声を聞きながら湯船に浸かる。
そして、20年ぶりに、念願の中谷家を訪問した。
ここで、ぼくが衝撃を受けたのは蔵だ。別に凄いお宝が蔵の中にあったわけではなく、
中は何もない蔵だ。何もない蔵の内装に衝撃を受けたのだ。それは輪島塗の朱と黒だけの世界で、
ただその塗りだけを愛でるために、その蔵は建てられた。
ぼくは、20年前に、その蔵の中に一人佇んで、宇宙を実感したのだ。
20年ぶりに、その蔵に入ってみると、照明を当て続けているせいか、朱が薄くなったように感じた。
あのとき感じた衝撃は、正直言って、その朱のように色あせてしまった気がした。
でも、一人、そこに佇んでいると、奇妙な落ち着きに包まれてくる。
それは、ここが実用とか芸術とかといった具体的な意味や目的がない空間だからかもしれない。
「こんな意味のない空間があってもいいじゃないか」なんて感覚が、体や心の力を抜いてくれるのかもしれない。
蔵の見学が済むと、御当主の中谷さんが囲炉裏端でお茶をふるまってくれた。
「能登も、このあたりは観光客が訪れることもなくてね。ここにあるのは閑古。
でも、その閑古が、今では貴重なものかもしれませんよ」
たしかに、都会で失われた閑古を求める旅があってもいいんじゃないかと思った。
■ 朝市には遅かったけれど
柳田村から鉢伏山(中部102F1)を越えて海岸線に出るルートを目指したものの、
途中で道を失い、結局、桜峠(中部102G3)に出て、間道を辿りのと鉄道七尾線に沿って輪島へ出た。
昼時をだいぶ過ぎていて、名物の朝市はほとんど跡を残していなかったが、
朝市会場の片隅にある「食KING横丁」で朝市丼1700円也を食べる。
朝市の雰囲気は味わえなかったけれど、味は堪能させていただいた。
今回、ぼくは輪島は通り過ぎるだけだが、もし輪島で泊まることがあれば、
観光協会が開いている「御陣乗太鼓」の実演を観てほしい。その昔、
上杉謙信がこの地に攻め入ろうとしたときに、村人が鬼の面をつけ、
髪を振り乱して太鼓を乱舞して軍勢を追い払ったという逸話が残る。この太鼓の迫力を一目見れば、
その逸話が真実であったと実感できる。これも、価値観が変わるほどインパクトがある。
輪島から海岸線に出てワインディングロードを楽しみ、今度は、能登随一の大寺、
総持寺(中部102B4)に立ち寄る。総欅のどっしりとした山門を潜って本殿にお参りし、
いったん来た道を戻って、今度は総持寺の裏手の山に向かう。ここには、
能登では唯一名水百選に選ばれている古和秀水がある。観音様が見下ろす水船に湧き出る水は、
さして高山でもない山の中腹に湧き出ていながら、キンと引き締まっている。
さて、甘露を味わった後は、海岸線に出て、海を見下ろす快適な温泉、「門前温泉」に浸かって、
今日の宿、富来のサイクリングターミナルに向かうことにする。
富来サイクリングターミナルは、国道脇に建つ地味な建物だが、ここの食事はお勧めだ。
風景の楽しみはないけれど、リーズナブルな料金で、能登の海産を堪能できる。