ツーリングマップル
2002/01/10 自分の弱さを認めること
内田一成
昨日のコラムで、瀬戸さんが自殺について書かれていたけれど、年末から年始にかけての今の時期になると、ぼくは、二人の若い友人の死を思い出してしまう。

S君は6年前の年末、苦労して開店したばかりの店をそのままにして失踪し、年が明けてから海辺の崖から身を躍らせて変わり果てた姿になっているのが発見された。N君は、某ゲームメーカーで同じプロジェクトに取り組んでいた仲間で、4年前の2月、アメリカへ一緒に取材に行って戻ってきた後に会社の屋上から身を躍らせてしまった。

二人とも、それまでの人生で紆余曲折があったにせよ、自分の好きな分野に進み、やりがいのある仕事に着手したばかりだった。

ぼくの若いときといえば、失敗や遠回りの繰り返しばかりで、人ともうまく付き合えずに冷や飯ばかり食べていたので、30歳そこそこで自分のイメージに沿った仕事に溌剌と向かう彼らが羨ましく思えたものだった。だから、どうしてS君やN君が「自殺」という道を選んでしまったのか、ぼくには理解できなかった。

N君が亡くなったとき、たまたまある雑誌にコラムの枠を持っていて、そこでも二人の死について触れた。そのとき、ぼくは、彼らの一生懸命仕事に向かう姿の内側にある苦悩に気づくことができなかった自分が不甲斐ないと書いた。どうして、彼らの虚勢が見抜けず、何も力になってあげられなかったのかと。

だけど、あれからまた数年過ぎた今、当時を振り返ってみて、結局、彼らの虚勢が見抜けたとしても、彼らの気持ちを生に振り向けることはぼくにはできなかっただろうと思う。それは、当時のぼくには、まだ人というものが今ほどわかっていなかったからだ(今でも、わかったといえるほどわかったりはしていないのだけれど...)。

ぼくは、運命論を支持しない。前向きなイメージを持ちつづければ、それは必ず実現すると考えるオプティミストだ。だけど、一方で、人間は、どんなにタフに見えても繊細で壊れやすく、ともすれば、生きる気力を失いがちになるものだとも思うようになった。

自分がそれなりに歳をとったということもあるけれど、人間は誰しも「弱さ」を抱えて生きていることが、最近になってわかった。どんなに精神的にタフに見える人でも、心のうちには「弱さ」を抱えている。そして、何かに追い詰められたとき(本当は、自分を追い詰めているのは、外側にあるものではなくて自分自身なのだけれど)、自殺という方向に走ってしまうか、それを思いとどまって生を選ぶかという境は、そんな心のうちにある「弱さ」を自分で認められるかどうかの違いではないかと思う。

悩みに悩んで、どうしようもできないと思ったら、恥も外聞もかなぐり捨てて逃げてしまえばいい。「所詮、自分だって弱い人間なんだ」と。ほんとうにどうしようもなくなったら、自分に言いわけしたってかまわないじゃないか。そして、どうしようもない状況をすべてかなぐり捨てて、すたこらさっさと逃げ出してしまえばいい。それを、「どうしようもない、どうしようもない...」と繰り返して立ち止まっているから、最終的なところへ自分を追い詰めてしまう。

尻をからげて逃げ出すのはカッコ悪いけど、生きていればこそリターンマッチができる。そして、そんなリターンマッチで勝てれば、人は、前より以上に認めてくれるようになるものだ。
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