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2002/01/31 日中友好バドミントン大会!?
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内田一成
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■ 月曜日のこと。戦場ヶ原でスノーシューイングをして帰ってくると、携帯が鳴った。A大学で教鞭をとっている友人からで、「明日、日中対抗バドミントン大会があるので、選手のおまえは、トンズラこかずに必ず来るように」とのこと。そういえば、二週間ほど前に、バドミントンの真剣勝負をするから、手を貸せと言われていたことを思い出した。
■ 明けて火曜日、新宿スポーツセンターにバイクで駆けつけると、本格的なバドミントンコートに件の友人と、中国チームが待ち構えていた。
■ そもそも、この試合は、中国チーム4人の「日本近代史」の単位がかかったゲームで、助教授の友人とぼくのチームに勝たなければ、単位を落とすことになる。試験の成績はみんな抜群なのだが、学費というか学費稼ぎに名を借りた出稼ぎ仕事に忙しくて出席日数が足りず、担当教官である友人に泣きついたところ、「それなら、俺にバドミントンで勝ったら単位をやろう」ということになったわけ。
■ なぜバドミントンかというと、その前日に、たまたま友人が大学のコートでバドミントンで汗を流し、中年になって体力が落ちていても、これならまだまだ十分やれると思っただけの話。だが、敵は20代前半の体力がありあまっている連中だ。一人では心もとないと思った奴は、体力と力勝負なら内田だな、と、勝手に自分のパートナーにぼくを選んでいたとうわけだ。「バドミントン? 先生、ほんとにバドミントンでいいのか?」と中国人留学生四人組の親玉、張君は、そのとき、にんまりとしたという。そのときの不敵な笑いの意味は、あとで、身にしみてわかることになるとは、そのときの担当教官は露知らなかった。
■ さて、火曜日の現場。単位のかかった中国チームは、約束の時間の1時間も前から体育館にやってきて、入念なウォーミングアップを済ませていた。そして、なんだか本格的なラケットでもって、本物の羽根のついたいかにも公式のシャトルを「スパーン! スパーン!」とものすごいパワーでぶちかましていた。
■ かなり長いラリーを終えた張君は、ホゲッと立ちすくむ中年二人組を見つけると、ネットを潜って駆け寄り、汗一つかいていない顔に満面の笑みを浮かべて言った。「ラケット持つのも3年ぶりで、なかなか勘が戻りませんよ」。「へっ?」と顔を見合わせる中年コンビ。「ぼく、15歳の時から18歳まで、中国のナショナルバドミントンチームの選手だったんですよ。日本に遠征に来たときに、将来はこの国で勉強したいなと思って、留学したね」だと。「おまえ、生徒の前歴を把握してから、交換条件だせよな」と、ぼくは思わず友人を非難。「そういや、バドミントンのナショナルチームの選手だった生徒がいるって、誰かが言っていたような気がするな。それって張君だったのか...」。
■ 日本代表中年チームは、中国ナショナルチームにコテンパンな目にあわされたことは、いうまでもない。
■ そういえば、このA大学助教授の友人は、やっぱり教え子と賭けをして負けて、その教え子が所属しているトルコ航空サッカーチームのフォワードをやらされていることを思い出した。このチームは、日本の実業団リーグに参加しているかなり本格的なチームで、友人を除くメンバーは、すべて元トルコプロサッカーリーグの選手。たまたま、高校時代にサッカーの選手だった友人は、10人しかいなくてリーグから脱退させられそうだったチームの埋め草にさせられたのだが...けっこう嬉しそうに国立競技場のピットを走り回っているのである。
■ わざわざ自分から外国に出掛けていかなくても、十分に国際的なのだ東京は...。再見!
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