フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 秋田県 >

清原氏は後三年合戦により滅亡した~北東北を支配した出羽の豪族~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月17日

この記事をシェアしよう!

清原氏は後三年合戦により滅亡した~北東北を支配した出羽の豪族~

平安時代後期の東北は、前九年合戦と後三年合戦で揺れました。
両合戦ともに、現在の横手市付近を拠点とした清原氏が大きく関与していました。

清原氏の源流とは

平安時代に出羽国(でわのくに)で頭角を現したのが清原氏でした。清原氏の出自については、平安時代末期に成立した軍記物語『陸奥話記(むつわき)』に「俘囚主(ふしゅうしゅ)」と表記されていますが、元慶(がんぎょう)の乱の際に京から派遣された在庁官人の清原令望(よしもち)とする説もあるようです。

清原氏の本拠地は横手市付近だったとする説が有力

清原氏が本拠地としたのは横手市付近であると推測されています。現在の横手市役所本庁舎から北東に2㎞ほど離れた場所にある大鳥井山(おおとりいやま)遺跡は、清原氏の拠点のひとつであると考えられています。

清原氏は雄勝、平鹿(ひらか)、山本の山北三郡を支配し、各地に一族を配置し、一族郎党を武装化して強力な勢力を形成していきました。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  北海道・東北 > 秋田県 >

この記事に関連するタグ