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秋田の中世史~秋田県域に関東御家人が入部して戦国時代には中小領主が乱立する 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月17日

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秋田の中世史~秋田県域に関東御家人が入部して戦国時代には中小領主が乱立する

豪族によって治められていた秋田の地に、武家が入部していました。
政治的大転換を迎え、秋田県域では武士が支配権を巡って争うようになります。

【秋田の中世の歴史①】鎌倉幕府による支配

1185(文治元)年、朝廷は源頼朝に対して諸国の守護や地頭を設置・任免を許可しました(文治の勅許(ちょっきょ))。この時点で日本最初の武家政権が実質的に成立したことになります。

頼朝は奥州藤原氏を攻め滅ぼしたあと、関東の御家人を奥州各地の地頭に任命。奥州全域に鎌倉政権の支配力を及ぼしていきますが、八郎潟(はちろうがた)東岸を拠点とする大河兼任(おおかわかねとう)が反旗を翻しました(大河兼任の乱)

北条氏による出羽国支配の強化

鎌倉幕府では源家将軍の血筋が絶えたあと、執権北条氏が実権を握ります。北条氏に対しては後鳥羽上皇が挙兵するも、北条氏はこれを破って権力基盤を盤石なものとすると(承久の乱)、有力御家人を出羽守に任じ、出羽国における幕府支配を強化しました。

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