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遺跡総数、約46万か所!日本について遺跡が伝える真実とは?

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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遺跡総数、約46万か所!日本について遺跡が伝える真実とは?

遺跡の総数は、コンビニエンスストアや神社よりもはるかに多いと言われます。
加えて、毎年9000件も遺跡の発掘調査が行われています。
遥かなる時を越え明かされる、数々の遺跡から見えてきたものとは。

日本の遺跡:北海道

モヨロ貝塚:オホーツク文化を代表する遺跡

続縄文(ぞくじょうもん)時代の後期にあたる5世紀頃、樺太南部から南千島(みなみちしま)にかけてのオホーツク沿岸部に住み着いた人々がいました。彼らは海獣狩猟や沿岸漁労を生活の糧とする「海の民」であり、道央部の続縄文文化・擦文(さつもん)文化とは棲み分けながら、9世紀までオホーツク文化が形成されました。その代表的な遺跡であるモヨロ貝塚(網走市)は、オホーツク海に注ぐ網走川の河口にあります。クジラやイルカといった大型の海獣類の骨が出土していることからも、ここに暮らした人々が海洋狩猟民であったことがうかがえます。貝塚に埋葬されたものはどのようなものだったのでしょうか?また、擦文文化とは?歴史をさかのぼっていきましょう。

網走市立モヨロ貝塚館

住所
北海道網走市北一条東2丁目
交通
女満別空港から網走バス女満別空港線網走バスターミナル行きで35分、モヨロ入口下車、徒歩5分
料金
大人300円、高・大学生200円、小・中学生100円(団体割引あり)

桔梗2遺跡・祝梅三角山遺跡・嶋木遺跡:初期の北海道人の遺跡!?

北海道の歴史は約2万年前の旧石器時代から始まります。
マンモスを追って大陸から樺太経由で南下してきた人々が、北海道の歴史の第一歩を刻んだのです。大陸から南下してきた人々が現在の北海道域に住みつきました。これが最初の「北海道人」ということになります。桔梗(ききょう)2遺跡(函館市)は2万数千年前、祝梅三角山(しゅくばいさんかくやま)遺跡(千歳(ちとせ)市)は約2万1千年前、嶋木(しまき)遺跡(上士幌町(かみしほろちょう))は約1万9千年前と、これらが北海道における最古クラスの遺跡です。各遺跡からはすり石や石斧(せきふ) などの石製品が見つかっており、そこに初期「北海道人」の生活の痕跡が見て取れます。

本州の縄文時代以後は稲作中心の弥生時代に突入しますが、稲作が伝播しなかった北海道では独自の文化(続縄文(ぞくじょうもん)文化、オホーツク文化、擦文(さつもん)文化)が展開していきます。詳しく見ていきましょう。

忍路環状列石:北海道内最大のストーンサークル

ストーンサークル(環状列石(かんじょうれっせき))とは、地表面を平坦にし、石や溝、土手などで一定の範囲を円形に区画し、そこに集団墓地を造営したものを指します。縄文時代後期から晩期にかけて日本列島全土で行われるようになった風習であり、この時期に集団墓地が造営されるようになったのは、定住化と一定規模以上の集住が常態化したことが理由であると推測されます。

小樽から余市にかけての地域は、半径4㎞圏内に100基以上のストーンサークルが確認されている国内最大級のストーンサークル密集地帯。そのなかでも最大のストーンサークルが忍路(おしょろ)環状列石です。この遺構は縄文時代後期後半に造営されたもので、三笠山(みかさやま)の麓の標高20mほどの河岸段丘(かがんだんきゅう)上に位置します。南北33m、東西22mの楕円形をしており、その外周にはおよそ2~3mおきに高さ1m前後の安山岩(あんざんがん)が配置され、この石柱の外側には石塊(いしくれ)が敷設されていました。この遺構から約70m離れた低湿地には、ストーンサークルを見上げるようにして、同時代のものとみられる集落の遺跡(忍路土場(どば)遺跡)が存在しました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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