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赤穂の塩が江戸時代に人気ブランドとなった理由 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月20日

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赤穂の塩が江戸時代に人気ブランドとなった理由

江戸時代に本格的な製塩事業を始め、「日本一の品質」と高い評判を得た赤穂の塩。どうして赤穂は日本有数の塩の産地となったのか、その秘密に迫ります。

赤穂の塩の産地と背景

赤穂の塩田は、千種川(ちくさがわ)を挟んで東浜塩田と西浜塩田に分かれていました。

東浜塩田では、東日本や北国向けに「差塩(さししお)」と呼ばれる苦汁(にがり:海水から塩分を分離した液体)を多く含む大粒の塩を生産していました。いっぽう、西浜塩田では、薄味の食文化である大坂や京都向けに、苦汁を除いた小粒で上品な味の「真塩(ましお)」を生産していました。

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