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北海道・東北の文化、歴史、地理に関するおすすめ記事

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じつは日本にも油田があるのを知ってますか?今後ますます重要になる原油を産出する国内油田はどこ?

エネルギー源としてもっとも知られている石油。おもに中東から輸入されていることは、よく知られていますが、日本にも油田があることをご存じですか? じつは約5億リットルと、けっして小さな数字の原油が日本国...

日本は地震の多発国!「東日本大震災」「阪神大震災」など過去の地震被害と「南海トラフ地震」など今後発生が予測される地震は?

プレート(岩盤)のズレ・ひずみによって発生する地震。日本は古来から地震による被害と復興を繰り返しています。 この記事では、日本で過去に起こった地震とその被害、今後発生が予測される地震とその備えをまと...

太宰治の生涯~「金木の殿様」の家に生まれて津軽で育った少年時代

現代でも根強い人気を誇る近代の小説家・太宰治。作品中にしばしば表れる強い不安の根源は何なのか。故郷・津軽で過ごした太宰の半生をたどってみましょう。...

原子力船むつを筆頭に原子力と国策に翻弄される下北半島

むつ市の大湊港は原子力船の母港となるも、放射線漏れを起こした船の帰港を漁民らは拒否。船は非核化、港は施設を撤去され、国頼みの事業は挫折します。...

三沢飛行場は米軍・自衛隊・民間が利用する旧海軍航空基地だった

北方防衛の要として戦前から建設が始まった三沢飛行場は、今もなお重要な飛行場として米軍や航空自衛隊、そして民間航空が使用しています。...

八戸港と八戸工業地帯の歴史~セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌

北東北の工業生産の中心地、八戸臨海工業地帯は、八戸港の開発とともに発展してきました。その背景には、セメントの原料となる石灰石の存在もあります。...

安部城鉱山の繁栄と公害~かつて日本有数の銅山だった

大正時代、空前の銅需要で国内屈指の鉱山に成長し、活況を呈した安部城鉱山。深刻な煙害で森林が枯渇するも、関係者らの努力で緑の山が回復しています。...

青函連絡船は船上に車両を載せて海を渡り青森〜函館をつないだ鉄道連絡船

青函連絡船は、青森駅と北海道の函館駅を結んでいた鉄道連絡船です。船内に貨車を載せる車両航送も行い、物流も担った80年間の足跡を追います。...

青森県で水産業が盛んな理由とは?大間のマグロに陸奥湾のホタテなど全国ブランドを続々と輩出

日本でも指折りの水産業が盛んな県・青森。大間のマグロ、八戸のサバ、陸奥湾のホタテなど、青森の漁業が全国ブランドになった秘密は何でしょうか?...

青森りんごの栽培の歴史~岩木山麓の原野を切り拓いて旧藩士たちが始めた

明治政府の号令のもと、産業新興にまい進する日本。青森では、旧士族たちがリンゴ栽培を始めます。これが、リンゴ王国・青森の原点でした。...

青森ヒバでつくられた築100年のダムが現役! 耐久性の高い建築素材として林業に貢献

害虫や湿気に強く、寺社建築に使われてきた青森ヒバ。明治時代以降、森林鉄道が林業の発展を支え、全国の木材需要に応えてきました。現在は天然林復元が進んでいます。...

南部馬は諸大名が財を投じて求めた名馬!古代から続いた青森県の馬産の歴史とは

現在、北海道に次ぐ馬産地である青森県。その馬産の歴史は古く、南部地方はかつて「南部馬」といわれる名馬の産地として広く知られていました。...

霊場・恐山において霊媒師イタコはなぜ象徴的な存在となったのか?

死者を呼び出す「口寄せ」を各集落で行ってきた青森伝統のイタコ。死者供養の聖地・恐山に活躍の場を広げるも、現在イタコは消滅の危機にあります。...

青森県の農業・漁業~県産業を支える屋台骨!各地に名産品がズラリ

県内就業者のうち第一次産業が占める割合が多く全国平均の4.0%を大きく上回っている青森県は、国内屈指の農業県なのです。...

青森の城と城下町~激しい戦乱が続いた中世に軍事拠点として築かれた3つの城

大名たちが権威を誇示するための立派な近世城郭がつくられるようになった。城郭とともに整備された城下町は、各地の政治・経済の中心として発展し、現在の街区の基礎となっていることも多くあります。...

【青森県と戦争】弘前に「陸軍第8師団」、大湊に「大湊水雷団」 軍事都市化し激化に飲み込まれていく

明治以降、弘前や大湊は軍都と呼ばれるようになっていきます。やがて太平洋戦争の末期になると、青森も米軍の標的とされるのでした。...

青森港発展の歴史~港町から県都となった青森では 町人中心の町づくりが進んでいく

当初は弘前に置かれた県庁は青森に移され、弘前県から青森県へ改称されました。青森の方が広大な県域の中央に近く、海運に便利な港があったからです。...

【青森県の歴史】戊辰戦争後に紆余曲折を経て青森県が成立。凶作を乗り越え近代化していく

明治の近代化以降、青森県の農業は大きく成長しました。大正末期から昭和にかけての凶作を乗り越え、現在も青森県は日本の食糧事情を担い続けます。...

蝦夷地警備は南下を狙うロシアを牽制するため東北諸藩が命じられた

日露関係が複雑に変化するなか、盛岡藩や弘前藩をはじめとする東北諸藩は幕府の意向に振り回されながら北方警備に出兵することになります。...

青森の航路と街道の歴史~交易を通じて商業が発達していく

江戸時代は一大開発の時代でした。青森県域では陸上交通網と海上輸送路が整備され、陸と海の両面から県域は発展していくことになります。...