フリーワード検索

トップ > カルチャー >  関西 > 奈良県 >

藤原京廃都の裏に参考資料のミス!?~日本初の条坊制の都~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年3月13日

この記事をシェアしよう!

藤原京廃都の裏に参考資料のミス!?~日本初の条坊制の都~

日本初の本格的な都城として誕生した藤原京。
中国の歴史書をもとに造られましたが、遣唐使によって唐の長安とは異なることが分かり、わずか16年で幕を閉じました。

藤原京は日本初の本格的な都城!

藤原京は、律令国家を目指す天武天皇とその皇后であるのちの持統天皇によって整備されました。中国の条坊制を採用した日本で初めての本格的な都城です。

持統8(694)年に飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)から遷都。大宝律令が制定され従来とは異なる新たな国家体制が整いつつありましたが、わずか16年で幕を閉じ平城京へ都を移すことになりました。

藤原京は中国の歴史書が手本!平城京をしのぐ規模だった

その理由は都に住む役人が増えて手狭になったためといわれていましたが、近年の発掘調査により藤原京は平城京をしのぐ規模だったことが分かりました。京域は約5 km四方のほぼ正方形。十条十坊の道が通り、都の中央に藤原宮が置かれているのが大きな特徴です。中国の歴史書『周礼(しゅらい)』に記された理想的な首都を参考にして造られたとされます。

藤原京と平城京を比較して分かる遷都の理由

では一体なぜ遷都されることになったのでしょうか。

その契機となったのは、大宝2(702)年、30年以上ぶりに再開した遣唐使による報告でした。中国の理念をもとに造った藤原京は、当時最先端だった唐の長安とは全く異なっていたということが分かったのです。藤原京の造営は遣唐使が中断していた時期と重なり、最新の都城について知ることができませんでした。藤原京と、その後遷都された平城京の構造を比較すると違いが見えてきます。

平城京のモデルは唐の長安!その構造とは

長安をモデルにした平城京は、都の北に平城宮が置かれていました。都を南北に貫く朱雀大路(すざくおおじ)は、長さ約3.8km、幅約74m。平城京のメインストリートであるだけでなく、儀礼を行い朝廷の威信を示す場でもありました。南の羅城門から平城宮の正門である朱雀門まで上りになっており、その先に大極殿がそびえる構造になっていました。

平城京のモデルは唐の長安!その構造とは

朱雀門

藤原京の構造や立地は難点だらけだった

これに対して藤原京の朱雀大路は長さ約500mと短く、道幅は約24mでほかの条坊道とあまり変わらないため、平城京のような役割を担うには不十分と考えられます。

また藤原京は北が低くなっており、中央にある藤原宮は南側の臣下の建物から見下ろされる形になっていて、威厳が損われていたのも大きかったでしょう。低地だったため大内裏に汚水が流れ込むこともあり、衛生状態も良くなかったようです。

このような立地的な欠点も、遷都の理由のひとつとして考えられています。いずれにせよ、これでは難点だらけで朝廷の威信を示すことは難しいでしょう。

遣唐使によって唐の実情を知った朝廷は、真の律令国家にふさわしい高度な都にするために、早々に藤原京を捨てて新しい都を造ろうとしたと推測されます。

藤原京・平城京の現在と当時の構造

藤原京・平城京の現在と当時の構造

藤原京から平城京へは約19km。かつては右図の破線部分が藤原京の全域とされていました。しかし現在は、大和三山を内包し平城京より規模が大きい、いわゆる「大藤原京」説が有力となっています。

藤原京から平城京に遷都された理由は諸説ある

平城京遷都には、藤原不比等(ふじわらのふひと)が権力を掌握するために飛鳥の豪族から離れて、新たな地盤を固めたいという思惑があったという説もあります。遷都の理由は諸説あり、複数の要因が絡み合ってなされたのでしょうが、藤原京を造る手本となった『周礼』という参考資料の存在は、伏線として無視できないと考えられます。

平城京の役人たちの暮らし

大内裏で働く役人の出勤は早く、朝6時半。太鼓の音で朱雀門が開門。朝堂院の各省庁で5時間程度実務をこなし、正午には退勤しました。

給与は位階や官職により異なります。正一位(しょういちい)~正三位の貴族は位田(いでん)と呼ばれる水田や位封(いふう)(農民が納める税など)が与えられ、春と秋には季禄(きろく)として絁(あしぎぬ)や綿も支給されました。一方、六位以下は季禄のみで出勤日数に応じて米や魚などの月料が支給されたといいます。給与が低いと、退勤後に東大寺でアルバイトをする者もいたことが『正倉院文書』に記されています。

勤務評定があり、毎年上・中・下の 3段階で評価。 6年ごとに平均値が出され、中以上だと翌年には官位が上がります

『奈良のトリセツ』好評発売中!

奈良県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。奈良県の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。思わず地図を片手に、行って確かめてみたくなる情報を満載!

見どころ―目次より抜粋

Part.1 地図、地形で読み解く奈良の大地
・実は人工的に作られた山だった? 古代史の舞台・大和三山
・人々の営みに密接してきた 生駒山がもたらした恩恵とは?
・大和平野を潤す大動脈 吉野川分水は300年越しに完成 ほか

Part.2 奈良を駆ける交通網
・生駒市と東大阪市にまたがる 暗峠の急勾配は法令地オーバー
・営業期間わずか9年間! 大仏鉄道を阻んだ急勾配
・3度の変更の末、駅開業が転がりこんだ!?なぜ、王寺町が鉄道の町になった? ほか

Part.3 奈良で動いた歴史の瞬間
・古墳の密集地帯・奈良盆地 なぜ古墳が造られなくなった?
・大化の改新だけではない! 中大兄皇子が変えた時間の概念
・秀吉が催した5000人規模の大宴会 吉野の花見で笑いをとった伊達政宗 ほか

Part.4 奈良で生まれた産業や文化
・全国で2校の国立女子大学 奈良女子大学設立の背景には岡倉天心
・古くから言い伝えがあった 天川村と手塚治虫作『火の鳥』の関係は?
・実は奈良盆地の気候が肝! 広陵町が靴下生産量日本一の理由 ほか

<コラム>
データで分かる全39市町村 人口、農業・水産業、観光
吉田初三郎が描いた奈良の鳥瞰図
映画・ドラマ・小説…… 奈良県とエンタメ作品

『奈良のトリセツ』を購入するならこちら

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!