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吉備真備は奈良時代のスーパー外交官!陰陽道・兵法・囲碁を日本に持ち込んだ!? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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吉備真備は奈良時代のスーパー外交官!陰陽道・兵法・囲碁を日本に持ち込んだ!?

奈良時代に日本と唐を股にかけて活躍したスーパー外交官がいました。
2度にわたって入唐し、最新の学問や技術を輸入。
奇想天外な逸話は冒険活劇のようです。

吉備真備は遣唐使としてたくさんのものを日本に持ち帰った

吉備真備(きびのまきび)は持統(じとう)9(695)年に、備中国(現在の岡山県)の下級役人の家に生まれたとされます。平城京の大学寮で秀才ぶりが認められ、養老元(717)年、第9次遣唐使の留学生として僧・玄昉(げんぼう)や阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)とともに入唐。国際都市である長安で17年間にわたって学び、『唐礼』130巻などの大量の文物と楽器、兵器を日本に持ち帰りました

吉備真備はスーパーマン!?数多く描かれる逸話

吉備真備のスーパーマンぶりは、のちの絵巻や物語に数多く描かれています。唐の役人が諸芸に秀でた吉備真備の才能に嫉妬し、次々に罠を仕掛けますが、吉備真備は鬼を利用して窮地を切り抜ける奇想天外な物語です。囲碁を知らない吉備真備が名人と対決させられるくだりでは、機転を利かせて勝利します。この逸話から吉備真備が日本に囲碁を持ち帰ったとする説があります。

吉備真備は孫氏の兵法を日本に伝えた?

唐で兵法学を学び、孫氏の兵法を日本に伝えたのも吉備真備といわれます。『続日本紀(しょくにほんぎ)』では、初めて兵法が持ち込まれたという明確な記述こそないものの、吉備真備による軍隊教育の項が記録上最初の言及とされているためです。

遣唐使は命がけの旅路

大陸文化をもたらした遣唐使は、実は過酷な旅路を経ていました。舒明2(630)年、第1回遣唐使では朝鮮半島の西岸沿いに進む比較的安全な北路でしたが、8世紀に新羅との関係が悪化すると、奄美や琉球を経由する南島路に変更。その後は五島列島を横断する南路を通りました。

どちらも荒波の東シナ海を超える必要があり、木造の遣唐使船は潮流に耐えられず、たびたび難破の危険に見舞われました。9割以上が亡くなった渡航もあったとされるほどです。また漂流の末唐までたどり着けず、帰国するケースも少なくありませんでした。

遣唐使は命がけの旅路

南路は五島列島沖を離れると漂着できる場所がしばらくなく、遭難の際の危険度も高かったといわれます。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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