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琵琶湖疏水の歴史と誕生秘話!京都の近代化を後押しした

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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琵琶湖疏水の歴史と誕生秘話!京都の近代化を後押しした

明治維新によって京都の人口は半減し、衰退が危ぶまれました。
この危機を脱するべく近代化事業がはじまり、発案されたのが琵琶湖疏水(びわこそすい)の開削でした。

琵琶湖疏水誕生の経緯

1869年、明治天皇が東京に行幸しました。それと同時に公家のほとんども東京へ移り、行政機関も移動します。さらに皇室や貴族お抱えの有力商人も、引越してしまいました。これを奠都(てんと)といいます。当時、京都の商工業は公家や有力商人への依存度が高く、奠都は大きな痛手となります。事実、京都の人口は維新前の35万人から20万人近くまで急減してしまいます。

危機感を抱いた初代京都府知事の長谷信篤(ながたにのぶあつ)が中心となり、街の復興に向けてさまざまな施策を実施。2代目知事の槇村正直(まきむらまさなお)が引き継いで展開します。この近代化政策は「京都策」と呼ばれ、ひとつが琵琶湖疏水の開削でした。

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