フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  関西 > 京都府 >

笠置山の戦いからはじまった南北朝の動乱。笠置山で何が起こっていたのか? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

この記事をシェアしよう!

笠置山の戦いからはじまった南北朝の動乱。笠置山で何が起こっていたのか?

鎌倉時代末期、幕府打倒を目指す後醍醐天皇が笠置山で挙兵。
その後、50年にもわたる内乱が勃発します。
この歴史をめぐり、今騒動が起こっています。

笠置山の戦いの舞台となった笠置山

相楽郡笠置町にある笠置山(かさぎやま)は、標高約288mの目立たない低山です。しかし、古代から山岳信仰の地として知られ、朝廷を二分する大乱がはじまった山です。

南北朝動乱――朝廷が京都の北朝と奈良吉野の南朝に分裂し、50年以上も対立が続くことになります。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!