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稲畑勝太郎が持ち帰った映写機で上映したのが日本映画の始まり?!~太秦が撮影所として「東洋のハリウッド」に育つまで~ 東映太秦映画村

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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稲畑勝太郎が持ち帰った映写機で上映したのが日本映画の始まり?!~太秦が撮影所として「東洋のハリウッド」に育つまで~

かつての京都は「東洋のハリウッド」と称されるほど多くの撮影所があり、数々の名作が生まれました。
その発展の歴史をたどってみましょう。

稲畑勝太郎の映写機の試写が映画の始まり?!

近代化が推し進められた明治時代に西洋からもたらされた文化のひとつが「映画」です。京都はこの新たな娯楽をいち早く享受した地とされています。

稲畑勝太郎が映写機を日本に持ち込んだ

1895年、フランスでリュミエール兄弟が撮影と映写の機能を持つ「シネマトグラフ」を発明。世界で初めて映像をスクリーンに投影する方式で映画上映が行われました。

この映写機を日本に持ち込んだのが京都出身の稲畑勝太郎(いなはたかつたろう)です。稲畑勝太郎は後に大阪商工会議所の会頭に就任する実業家で、若いころにフランスに留学しており、リュミエール兄弟の兄オーギュストと親交があったのです。

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