フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  甲信越 > 長野県 >

大塔合戦はどうして起きた?~信濃の南北戦争~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

この記事をシェアしよう!

大塔合戦はどうして起きた?~信濃の南北戦争~

室町時代に信濃国で起きた大塔合戦は、「信濃の南北戦争」とも呼ばれています。合戦が起きた理由や、その結果について知っておきましょう。

大塔合戦が勃発するまでの時代背景

鎌倉幕府は国ごとに守護を置き、在地の地頭(じとう)(荘園(しょうえん)や国衙領(こくがりょう)を管理)を監督させました。守護の任命権は将軍にあり、守護を通じて全国津々浦々まで幕府の支配力を及ぼす制度を整備したのです。守護は軍事・警察権を司り、行政や国衙領の実効支配は国司の職権とされていました。

室町時代に守護の権限が大幅に強化される

室町幕府になっても職制としての守護は引き継がれますが、その権限は大幅に強化されました。それというのも、室町時代になると各地の国人(土豪(どごう))たちが実力で荘園や国衙領を蚕食(さんしょく)するようになっていたので、在地武士間の紛争に守護が介入できるようにしたのです。また、守護には司法執行や徴税の権利も与えられました。このように権限が強化された結果、守護は国衙領を吸収し、国内の地頭や国人らを被官化し、守護大名による守護領国制が確立していきます。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  甲信越 > 長野県 >

この記事に関連するタグ