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善光寺の本尊は時代に翻弄され各地を流転し、天下人の元に安置された? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年3月28日

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善光寺の本尊は時代に翻弄され各地を流転し、天下人の元に安置された?

善光寺の本尊は日本最古の仏像で絶対秘仏とされていますが、戦国乱世に翻弄され、各地を流転しています。その軌跡を追っていきましょう。

善光寺とは?

長野市元善(もとよし)町にある善光寺は、いずれの宗派にも属さない単立の仏教寺院と位置づけられています。というのも、善光寺は日本で仏教の宗派が分かれる前に創建されているからです。

善光寺の本尊は日本最古の仏像とされている

本尊の「一光三尊阿弥陀如来像(いっこうさんぞんあみだにょらいぞう)(善光寺式阿弥陀三尊(さんぞん)像)」は、もともとは552(欽明13)年に日本に仏教が伝来した際に百済(くだら)の聖明王から贈られたものであり、日本最古の仏像とされています。ところが、伝来当初には仏教の受容を巡る対立があり、この仏像は廃仏派の物部氏(もののべうじ)によって打ち捨てられてしまいます。のちに信濃国司の従者として都に上がった本田善光(よしみつ)が見つけて信濃国に持ち帰ると、644(皇極3)年に「一光三尊阿弥陀如来像」を本尊とする伽藍(がらん)が造営されました。そして寺号(じごう)は、本田善光の名から取って善光寺とされたのです。

善光寺の本尊は戦国乱世に翻弄され各地を転々とする

12世紀後半に編さんされた『伊呂波字類抄(いろはじるいしょう)』には、善光寺の本尊は「日本最古」の霊仏としてその名が見られます。源頼朝が善光寺を再建したり、執権北条氏も尊崇(そんすう)したりしてきましたが、戦国時代になると善光寺の本尊は時代の波に翻弄されてしまいます。

本尊の変遷①:武田信玄によって甲斐善光寺へ

1555(天文24)年の第二次川中島の戦いで善光寺は戦火に見舞われ、武田晴信(信玄)は本尊や寺僧などを小県(ちいさがた)郡禰津(ねつ)村(東御(とうみ)市)に移動させ、さらに1558(永禄元)年には甲府に移しました。これが今日の甲斐善光寺(山梨県甲府市)です。

本尊の変遷② :織田信忠によって岐阜善光寺へ

しかし、甲斐武田氏は1582(天正10)年に織田信長の甲州征伐によって滅ぼされます。武田滅亡後、善光寺如来は信長の長男・信忠によって岐阜城下に移され、現在の岐阜善光寺(岐阜県岐阜市)となります。

本尊の変遷③:徳川家康によって甲斐善光寺へ戻される

ところが1582(天正10)年6月2日、本能寺の変が起き、信長は本能寺で、信忠は二条御所で討死してしまいます。その後、信長の二男・信雄(のぶかつ)が清須甚目寺(きよすじもくじ)(愛知県西春日井郡)に本尊を迎えていましたが、のちに徳川家康の手へと渡り、遠江鴨江寺(とおとうみかもえじ)(静岡県浜松市)に移ります。ですが、家康は善光寺如来を夢で見て、わずか5カ月の内に甲斐善光寺へと本尊を戻すのでした。

善光寺の本尊は豊臣秀吉の元にたどり着くも…

豊臣政権下では、1597(慶長2)年に豊臣秀吉が善光寺如来を京に迎えようと画策しました。実際に京に迎え入れたものの、秀吉は体調が悪化し、やはり霊夢を見たとして翌1598(慶長3)年8月に信濃へと送り返しています。秀吉が亡くなる前日の出来事でした。かくして善光寺如来像は、43年ぶりに信濃の地へと戻ったのでした。

1555(天文24)年~1598(慶長3)年の43年間にわたり、善光寺本尊は各地を転々としていきました。
『図説 長野県の歴史』(河出書房新社、1988年)を元に作成。

善光寺は本尊が戻り、江戸時代から徐々に復興

長らく本尊が不在だった善光寺は、戦乱に巻き込まれて荒廃していましたが、関ヶ原の戦い(1600年)で徳川家康が勝利して江戸に幕府を開くと、家康から1000石の寄進を受けて徐々に復興していきました。

善光寺参りが江戸庶民の間でブームに

善光寺如来像は秘仏ですが、数えで七年に一度の御開帳のときだけは本尊の代わりに「前立本尊(まえだちほんぞん)」が一般にも公開されるようになり、これをひと目でも見ようと話題となり、江戸時代中期以降には善光寺参りが江戸庶民のあいだでブームとなりました。そして江戸時代も末期頃になると、「一生に一度は善光寺参り」とか「遠くても一度は参れ善光寺」といわれるようになり、このとき培われた庶民の尊崇の念は現代にも引き継がれています。

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Part.1 地図で読み解く長野の大地

・地形・地質総論「東西から圧縮されている長野」
・伊那山地と南アルプスを縦貫!日本最大の断層・中央構造線
・大地溝帯フォッサマグナとかつて信州が海だった証
・火山活動の歴史を物語る山容 八ヶ岳連峰の南北で大きな違い
・北アルプス唯一の活火山!焼岳の噴火と上高地盆地の形成
・天竜川と断層で形成された伊那谷の日本一の河岸段丘
・野尻湖のナウマンゾウ化石に旧石器人の生活が見える?
・千曲川沿いの段丘上に築かれ、急崖と川が守る上田城のすごさ

などなど長野のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 長野を駆け抜ける鉄道網

・高崎~長野の長野新幹線に始まり敦賀への延伸を目指す北陸新幹線
・66.7パーミルの勾配路線だった信越本線碓氷峠とは?
・東京と名古屋を結ぶ大幹線で山岳地帯を駆け抜ける中央本線
・明治期に開通し善光寺平と松本盆地を結ぶ篠ノ井線
・伊那谷やアルプスを望み旧型国電も走った飯田線
・県内最大の路線網を誇った、私鉄・長野電鉄の変遷
・別所温泉に向かう温泉電車、上田電鉄別所線の魅力

などなど長野ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 長野で動いた歴史の瞬間

・縄文遺跡の宝庫・信州は日本一の人口密度だった!?
・信濃の国は有数の馬産地! 都に名を馳せた望月の駒とは?
・弓馬に長けた信濃武士が源氏配下として平氏討伐
・信州の南北戦争と呼ばれる大塔合戦はどうして起きた?
・甲斐武田信玄vs越後の上杉謙信、二大英雄が激戦を演じた川中島
・流転した善光寺の本尊は天下人の元に安置された?
・松本の貞亨騒動や上田の宝暦騒動 信州で百姓一揆が続発したわけ
・松本城が直面した取り壊し危機 救ったのは松本の住民だった!

などなど、激動の長野の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 長野で育まれた産業や文化

・江戸時代に整備された用水路 五郎兵衛用水路とは?
・信州の気候風土を生かした寒冷地農業のここがすごい!
・蚕糸王国として栄えた長野県が電気機械工業県に変貌したわけ
・明治期の外国人別荘に始まる軽井沢エリアのリゾート化
・洪水を繰り返してきた暴れ川、千曲川を巡る治水事業の全容
・日本三大奇祭に数えられる、諏訪大社の御柱祭の本質とは!?

などなど長野の発展の歩みをたどる。

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