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信濃で百姓一揆が続発したわけ~松本の貞享騒動や上田の宝暦騒動~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年11月18日

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信濃で百姓一揆が続発したわけ~松本の貞享騒動や上田の宝暦騒動~

信濃での一揆の発生件数は全国でもトップクラスでした。そのなかでも江戸中期に起きた騒動について見ていきましょう。

信濃は百姓一揆の発生件数が全国でもトップクラス! その理由は?

江戸時代の265年間、信濃では200件以上の百姓一揆が起こり、発生件数は全国でもトップクラスでした。その理由のひとつに、藩による年貢の引き上げがあります。たとえば松代(まつしろ)藩(長野市松代町)の場合、1俵(五斗と三升(しょう))に対して、年貢を二斗八升としていました。つまり年貢率は52.8%です。周辺諸藩の年貢が二斗五升(年貢率47.2%)であったことを考えれば、割高だったことがわかります。

さらに1674(延宝2)年、これを三斗(年貢率56.6%)まで引き上げようとしたところ、善光寺平の名主たちは猛反発し、幕府への直訴を決めました。これを二斗八騒動といいます。

幕府への署名は、首謀者がわからないように傘連判状(からかされんぱんじょう)の形式でしたためられましたが、筆を執った助弥(高田村)、伝兵衛(堀村)、吉兵衛(西尾張村)の3人が処刑されました。結果、年貢は二斗八升に据え置かれたため、人々は弥助らに感謝して二斗八升神社(長野市高田)に彼らを祀るのでした。

信濃の百姓一揆:加助(貞享)騒動

松本藩(松本市)では年貢1俵に籾を五斗三升入れ、玄米にしたときに三斗となるように納めてきました。1686(貞享3)年に藩は玄米にして三斗四、五升となるような俵詰めを命じます。納める俵の数は変わらないので農民の負担は増えることとなりました。
安曇郡中萱(なかがや)村の元庄屋・多田加助(ただかすけ)らは周辺諸藩と同様の年貢(二斗五升)まで軽減することを求め、松本の郡奉行所へ直訴します。この情報が事前に藩内の各組に伝わり、直訴当日には加助らに同調する人々が押し寄せ、松本城周辺には数千人もの農民が殺到しました。
このとき藩主の水野忠直(みずのただなお)は参勤交代で江戸にいたため、留守を預かる家老たちは、いったん農民らの要求を受け入れて騒動を鎮めました。ところが後日、家老らは年貢軽減の決定を反故(ほご)にし、加助とその家族ら28名を捕縛(ほばく)して処刑します。この騒動は加助の名を取って「加助(貞享(じょうきょう))騒動」とも呼ばれ、結果的に松本藩の年貢は三斗のままとされました。

のちに藩主の水野氏が改易(かいえき)になると、後任の戸田氏は騒動に加担した義民を顕彰(けんしょう)し、名誉を回復します。

信濃の百姓一揆:宝暦騒動

特定の代表者が要求を訴える通常の一揆に対し、農民が団結して武装蜂起することを惣百姓一揆(そうびゃくしょういっき)と呼びます。この惣百姓一揆の代表例とされるのが、1761(宝暦11)年に上田藩(上田市)で起きた宝暦騒動です。

宝暦騒動での農民の要望と結果

農民たちは年貢の軽減、農民の徴発(ちょうはつ)の禁止を要求し、検見役(けみやく)の郡奉行の不正告発などを行うため上田城に押しかけました。この一揆に参加した農民は、なんと1万3000人にも達したといいます。
このときは家老の岡部九郎兵衛が応対しますが、一揆勢はそれで収まることがなく、翌日に城下町で打ち壊しを行ったり、役人との関係が疑われた庄屋の屋敷を襲撃したりと、武装蜂起ならではの側面を見せています。翌1762(宝暦12)年、不正のあった郡奉行は罷免(ひめん)され、農民たちの要求は受け入れられましたが、騒動の首謀者として清水半平(しみずはんべい)と中沢浅之丞(なかざわあさのじょう)は処刑され、西戸太郎兵衛(にしどたろうべえ)は投獄されました。

このように信州の農民たちは、冷害の多い風土のなか、気骨ある信州人気質を発揮し、自分たちの権利を主張して戦ったのです。

百姓一揆の所領別の総件数は、飯田藩32件、松代藩24件、松本藩21件、上田藩15件などで、長野県のほぼ全域で起こっていたことがわかります。
『図説 長野県の歴史』(河出書房新社、1988年)を元に作成。

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Part.1 地図で読み解く長野の大地

・地形・地質総論「東西から圧縮されている長野」
・伊那山地と南アルプスを縦貫!日本最大の断層・中央構造線
・大地溝帯フォッサマグナとかつて信州が海だった証
・火山活動の歴史を物語る山容 八ヶ岳連峰の南北で大きな違い
・北アルプス唯一の活火山!焼岳の噴火と上高地盆地の形成
・天竜川と断層で形成された伊那谷の日本一の河岸段丘
・野尻湖のナウマンゾウ化石に旧石器人の生活が見える?
・千曲川沿いの段丘上に築かれ、急崖と川が守る上田城のすごさ

などなど長野のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 長野を駆け抜ける鉄道網

・高崎~長野の長野新幹線に始まり敦賀への延伸を目指す北陸新幹線
・66.7パーミルの勾配路線だった信越本線碓氷峠とは?
・東京と名古屋を結ぶ大幹線で山岳地帯を駆け抜ける中央本線
・明治期に開通し善光寺平と松本盆地を結ぶ篠ノ井線
・伊那谷やアルプスを望み旧型国電も走った飯田線
・県内最大の路線網を誇った、私鉄・長野電鉄の変遷
・別所温泉に向かう温泉電車、上田電鉄別所線の魅力

などなど長野ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 長野で動いた歴史の瞬間

・縄文遺跡の宝庫・信州は日本一の人口密度だった!?
・信濃の国は有数の馬産地! 都に名を馳せた望月の駒とは?
・弓馬に長けた信濃武士が源氏配下として平氏討伐
・信州の南北戦争と呼ばれる大塔合戦はどうして起きた?
・甲斐武田信玄vs越後の上杉謙信、二大英雄が激戦を演じた川中島
・流転した善光寺の本尊は天下人の元に安置された?
・松本の貞亨騒動や上田の宝暦騒動 信州で百姓一揆が続発したわけ
・松本城が直面した取り壊し危機 救ったのは松本の住民だった!

などなど、激動の長野の歴史に興味を惹きつける。

Part.4 長野で育まれた産業や文化

・江戸時代に整備された用水路 五郎兵衛用水路とは?
・信州の気候風土を生かした寒冷地農業のここがすごい!
・蚕糸王国として栄えた長野県が電気機械工業県に変貌したわけ
・明治期の外国人別荘に始まる軽井沢エリアのリゾート化
・洪水を繰り返してきた暴れ川、千曲川を巡る治水事業の全容
・日本三大奇祭に数えられる、諏訪大社の御柱祭の本質とは!?

などなど長野の発展の歩みをたどる。

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