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信濃で百姓一揆が続発したわけ~松本の貞享騒動や上田の宝暦騒動~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月12日

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信濃で百姓一揆が続発したわけ~松本の貞享騒動や上田の宝暦騒動~

信濃での一揆の発生件数は全国でもトップクラスでした。そのなかでも江戸中期に起きた騒動について見ていきましょう。

信濃は百姓一揆の発生件数が全国でもトップクラス! その理由は?

江戸時代の265年間、信濃では200件以上の百姓一揆が起こり、発生件数は全国でもトップクラスでした。その理由のひとつに、藩による年貢の引き上げがあります。たとえば松代(まつしろ)藩(長野市松代町)の場合、1俵(五斗と三升(しょう))に対して、年貢を二斗八升としていました。つまり年貢率は52.8%です。周辺諸藩の年貢が二斗五升(年貢率47.2%)であったことを考えれば、割高だったことがわかります。

さらに1674(延宝2)年、これを三斗(年貢率56.6%)まで引き上げようとしたところ、善光寺平の名主たちは猛反発し、幕府への直訴を決めました。これを二斗八騒動といいます。

幕府への署名は、首謀者がわからないように傘連判状(からかされんぱんじょう)の形式でしたためられましたが、筆を執った助弥(高田村)、伝兵衛(堀村)、吉兵衛(西尾張村)の3人が処刑されました。結果、年貢は二斗八升に据え置かれたため、人々は弥助らに感謝して二斗八升神社(長野市高田)に彼らを祀るのでした。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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