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関ヶ原の戦い~外交戦が勝敗を分けた天下分け目の戦い

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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関ヶ原の戦い~外交戦が勝敗を分けた天下分け目の戦い

東軍・西軍結成のドラマが東西で展開された関ヶ原の戦い。小早川勢の裏切りが勝敗を分けました!

関ヶ原の戦い~東軍・西軍結成のドラマが東西で展開される

慶長5年(1600)7月、石田三成率いる西軍は、まず伏見城を陥落させると、主力は岐阜方面へ向かいます。一方、家康は、下野小山(しもつけおやま)で三成挙兵を知ると、諸大名を集め、戻りたい者は上方へ戻るよう告げました。

すると、豊臣恩顧の武将ながら三成に反感を抱いていた福島正則がこれを強く拒んだことで多くの大名を味方につけることに成功。家康を中心とする東軍が形成されます。

東軍は、福島正則や黒田長政(くろだながまさ)らを先鋒として東海道を西上し、8月22日には西軍の織田秀信(ひでのぶ)(三法師)が籠る岐阜城を落としています。

家康は9月1日に江戸を発って東海道を上り、14日には大垣城近くの美濃赤坂に到着。翌15日に関ヶ原での決戦を迎えることとなりました。

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