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出島生活の実態とは?オランダ人はビリヤード三昧だった!?

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年4月21日

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出島生活の実態とは?オランダ人はビリヤード三昧だった!?

鎖国時代、ヨーロッパとの唯一の窓口だった出島。
出島でのオランダ人の生活は、実際どのようなものだったのでしょうか。
日本人との関わりなど知られざることも多くあります。

出島の完成と出島オランダ商館の始まり

長崎奉行所西役所前の海浜に出島が完成したのは寛永13(1636)年、3代将軍徳川家光の時代です。外交面では、キリシタンへの取り締まりが厳しく、外国船との貿易規制から「鎖国」政策がとられます。鎖国時代に欧州との唯一の窓口となったのが出島です。

出島建造の当初の目的は、長崎市中に居住していたポルトガル人を収容することでした。出島の着工は寛永11(1634)年で、幕府の命によりますが、長崎の有力町人25人の共同出資によって築かれたものです。

完成翌年の寛永14(1637)年に「島原・天草一揆」が起き、同16(1639)年にはポルトガル船の来航が禁止となったため、出島は空地になりました。

そこに寛永18(1641)年、オランダ商館が平戸から長崎に移転してきたことで、出島オランダ商館の歴史が始まります。以後200年以上にわたり、出島は日本とヨーロッパとの唯一の貿易窓口としての役割を果たします。

出島とオランダ商館の構造

出島はどのような島だったのでしょうか。数回にわたって行われてきた発掘調査の結果、出島の東・南・西側に護岸石垣が発見され、一部を修復・復元。現在見ることができるようになっています。

出島が扇形の地形になったのは、河口の砂洲を利用した結果であること、また旧海岸線に沿わせて弧状にし、海流の当たりをやわらげるために扇形になったとも考えられています。

出島の出入り口は表門と水門の2つ。西側の水門近くには、カピタン(商館長)部屋やヘトル(商館長次席)部屋、倉庫など重要な建物が置かれました。東南部には家畜の飼育小屋や菜園、花畑などがあり、食料保管に関わる工夫もされていました。オランダ人はにわとりや鴨のほか、当時の日本人にはなじみのうすい牛や豚を常食としており、それらを自前で調達するためでした。

出島とオランダ商館の構造

復元された出島のカピタン部屋。19世紀前半の室内の様子を再現しています。カピタン部屋は出島の建物の中でもっとも大きく、畳敷きの上にいすやテーブルが置かれていました。

出島に暮らしたオランダ人

出島にはオランダ商館長や次席、荷倉役、書記役など商館員のほか、医師、調理師、東南アジアから連れてきた召使いなどが暮らしていました。出島から出ることは許されず、日本人も出入りできるのはオランダ通詞、地役人ら限られた人間だけでした。

当時の記録を見ると、オランダ船が来航する6、7月以外の期間、オランダ商館員は暇を持て余していたようです。出島ではビリヤードやバドミントンなどの娯楽を楽しんでいました。嗜好品としてタバコも定着しており、白色粘土を型どって作られた素焼きのパイプ(クレーパイプ)が大量に出土しています。

出島のオランダ人の生活は意外と自由だった?

隔離された生活の中でも、新暦の正月には出島独自の新年の祝宴が行われ、日本人も招かれて饗宴をともにしました。日本人は珍しい食事にはほとんど手をつけず、家に持ち帰り、親戚に配るなどして食したといいます。

出島では本国と同じ食生活を送ることを許されていたので、本国から持ち込まれる食材も多くありました。記録されている積載リストには、ハム・チーズ類、ビスケット、パン、カリフラワー、マッシュルーム、燻製のタンやサーモン、 コーヒー豆、ワイン類など、日本では入手困難な多彩な食材があげられています。

ほかに芝居や楽器演奏などを楽しんでいた記録もあり、遊女の出入りも許されていました。厳しい鎖国政策の裏で、オランダ人は意外と自由に出島での生活を楽しんでいたようです。

>>出島を観光するならこちらの記事へ

出島

住所
長崎県長崎市出島町6-1
交通
JR長崎駅から長崎電気軌道1号系統崇福寺行きで6分、出島下車すぐ
料金
入場料=大人520円、高校生200円、小・中学生100円/(15名以上は団体割引あり)

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