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出島生活の実態とは?オランダ人はビリヤード三昧だった!?

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

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出島生活の実態とは?オランダ人はビリヤード三昧だった!?

鎖国時代、ヨーロッパとの唯一の窓口だった出島。
出島でのオランダ人の生活は、実際どのようなものだったのでしょうか。
日本人との関わりなど知られざることも多くあります。

出島の完成と出島オランダ商館の始まり

長崎奉行所西役所前の海浜に出島が完成したのは寛永13(1636)年、3代将軍徳川家光の時代です。外交面では、キリシタンへの取り締まりが厳しく、外国船との貿易規制から「鎖国」政策がとられます。鎖国時代に欧州との唯一の窓口となったのが出島です。

出島建造の当初の目的は、長崎市中に居住していたポルトガル人を収容することでした。出島の着工は寛永11(1634)年で、幕府の命によりますが、長崎の有力町人25人の共同出資によって築かれたものです。

完成翌年の寛永14(1637)年に「島原・天草一揆」が起き、同16(1639)年にはポルトガル船の来航が禁止となったため、出島は空地になりました。

そこに寛永18(1641)年、オランダ商館が平戸から長崎に移転してきたことで、出島オランダ商館の歴史が始まります。以後200年以上にわたり、出島は日本とヨーロッパとの唯一の貿易窓口としての役割を果たします。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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