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片上鉄道の軌跡~東洋一の硫化鉄鉱山とともに歩んだ歴史~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

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片上鉄道の軌跡~東洋一の硫化鉄鉱山とともに歩んだ歴史~

大正~平成まで鉱山と港を結び、走り続けた片上(かたかみ)鉄道。時代の流れとともに68年間の歴史に幕を下ろしました。一体どのような路線だったのでしょうか?

片上鉄道とは?

同和(どうわ)鉱業片上鉄道線は、備前市と久米郡柵原町(くめぐんやなはらちょう)(現在の美咲町)を結んでいた、路線総延長33.8km、17駅を有する民営鉄道です。
1919(大正8)年、当時の片上町の有志が片上軽便鉄道の建設を計画します。それに片上町と柵原鉱山を所有していた藤田組(後の同和鉱業)が協力し、片上鉄道株式会社が創立されたことが、片上鉄道の始まりです。

片上鉄道は鉱山~港を結ぶために作られた

鉄道建設は、町の振興と柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱や当時の片上町の主要産業である耐火煉瓦の原料製品を片上港まで輸送するのが目的でした。それまでは高瀬舟を利用して吉井川を下り、河口の九幡(くばん)港で船に積み替えられて各地に輸送されていましたが、鉱山の開発が進むにつれ、輸送力の高い鉄道が必要とされました。
1922(大正11)年12月に片上~和気(わけ)(8.6km)が竣工、翌年1月1日から営業を開始しました。開業時の車両は、機関車2両・客車5両・貨車25両。1923(大正12)年8月には和気~備前矢田(やた)(9.7km)を延長し、1929(昭和4)年4月には矢田~柵原(15.5km)の延長線敷設工事に着工します。約2年後の1931(昭和6)年2月に、片上~柵原が全線開通しました。当時の車両は、機関車5両・ガソリンカー3両・客車7両・貨車87両でした。混合列車として、旅客営業も行われ、沿線住民の足としても利用されました。

初めに片上駅から和気駅までの線路が敷かれ、その後は吉井川に沿って鉱山のある柵原駅まで延ばされました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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