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備前福岡の市は西日本一の商都として栄えた 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年5月13日

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備前福岡の市は西日本一の商都として栄えた

吉井川(よしいがわ)の中州に広がる、備前(びぜん)福岡。かつては「福岡千軒(ふくおかせんげん)」と呼ばれ、衣料品・食料品・武器などさまざまな物品を扱う商都として多いに栄えていました。

備前福岡は交通の要衝

吉井川の中州に広がる、瀬戸内市長船町(せとうちしおさふねちょう)福岡。このあたりはもともと、備前四十八カ寺の一つ・岡隆山薬王寺(こうりゅうざんやくおうじ)の門前町として発展した土地です。1165(永万元)年の南部一乗院(なんぶいちじょういん)記録に「福岡の庄」として登場するのが、史料の初出。東端が福岡村(現在の長船町福岡)、西端が平島(ひらじま)(現在の岡山市東区東平島(ひがしひらじま))周辺まで広がり、16カ村で構成されていたといいます。
吉井川は高瀬舟(たかせぶね)発祥の地として知られており、岡山三大河川の中でも特に水運が活発だった川です。その吉井川と山陽道の結節点である「福岡の庄」には自然と商品が集まり、市が立つようになりました。

備前福岡の豪商の経済力を示す3つの寺

室町時代の福岡には3寺が建立されていました。この3寺を経済的に支えたのが、備前福岡の豪商です。1200年代は刀工の福岡一文字派の黄金期で、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が福岡一文字派の刀を好んだことから、各地の武将が備前刀を求めました。備前刀の製造・販売で財をなした豪商が各寺に寄進したため、狭いエリアに3寺が密集していても成り立ったのではないかと考えられています。

備前福岡の市は「福岡千軒」と呼ばれ繁栄を極めた

室町時代には、それまで定期市(決まった日に市が立つ臨時市場)だった「福岡の市」が、常設市(常設店舗が並ぶ、現在の商店街のような市場)に変化。赤松氏の守護代である浦上氏が治める「守護城下町」として栄え、「福岡千軒」と呼ばれる中世の商都として繁栄を極めました。ピーク時には商人が1000人以上、人口は5000~1万人以上いたと伝えられています。

備前福岡の豪商は戦国武将にも影響を与えた

備前福岡の豪商は、後の戦国武将にも影響を与えています。黒田官兵衛(くろだかんべえ)の曽祖父の黒田高政(たかまさ)は近畿から備前福岡に移り住み、目薬の製造技術を身に付けたと考えられています。刀鍛冶は眼病を患うことが多いため、目薬の需要は高かったのでしょう。ここで築いた財産を元手に家来を集めた黒田家は、小寺(こでら)家に仕官して戦国大名として成長していきます。関ヶ原の合戦の後、筑前52万石を与えられた黒田長政(ながまさ)(官兵衛の息子)は、備前福岡をしのんで居城を「福岡城」と命名しています。

備前福岡となじみ深かった岡山城主の宇喜多直家

宇喜多直家(うきたなおいえ)の父・宇喜多興家(おきいえ)は、豪商・阿部善定(あべぜんてい)と関係を結んで宇喜多家の経済基盤を構築しました。直家にとっても備前福岡はなじみ深い土地で、岡山城主として岡山城下町を造る際には、備前福岡から多くの商人を岡山城下へ移住させています。

備前福岡は一時衰退するも城下町として復活

商人の移住と1591(天正19)年の吉井川の大洪水によって、備前 福岡は衰退を見せます。しかし1642(寛永19)年には岡山藩の在町(ざいまち)(商品作物の生産・販売が認められた、城下町と農村の中間のような町)の一つとなったことで往時の勢いが復活。また、1645(正保2)年に苅屋(かりや)城主・池田輝興(てるおき)が備前福岡に預けられたことで再整備が進み、城下町と引けを取らないレベルの町並みが整えられました。「備前福岡名所町、七口、七つ井戸、七小路」という言い伝えは、この時の整備によって誕生したものです。

備前福岡の往時の姿を今に伝える七つ井戸

七つ井戸は、飲用・消火用・生活用水を得るために作られた共同井戸。明治時代になってからは近隣住民が協力して 管理しており、昭和になってもしばらく使われていたといいます。七つも井戸があったのは、水源が豊富だったため。吉井川のすぐ近くなので、掘れば比較的簡単に井戸を掘り当てることができたのです。この豊富な水を生かして、かつては豆腐屋や造り酒屋も存在していたといいます。現在も七つのうち四つの井戸が、昔のままの姿で残っています。

備前福岡は守護城下町として整備された

襞(たび)

兵が家と家の間に潜めるよう、わざと家の配置をジグザグにした仕組み。

歪(ひずみ)

縦の道と横の道をずらすことで死角を作り、進入する敵を攻撃します。

横小路

黒田高政の屋敷があったとされる横小路。当時はこの道が吉井川まで続いていました。

市場小路

市場小路は両脇に商店が並んでいたため、他の小路より広い道幅となっています。

七つ井戸の跡

昭和30年代の道路舗装の際に埋められ、現在は跡だけが残っています。

七つ井戸

飲用・消火用・生活用水を得るために作られた共同井戸。現在も七つのうち四つの井戸が、昔のままの姿で残っています。

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・「晴れの国岡山」は「天文王国おかやま」だった!
・笠岡市がカブトガニ有数の生息地になった理由

…などなど岡山のダイナミックな自然のポイントを解説。

Part.2 岡山を走る充実の交通網

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・わずか16年で廃線になった、幻の三蟠鉄道
・津山扇形機関車庫から見る、岡山県の鉄道の歴史
・山陽新幹線は岡山発が多い?交通の要所・岡山駅のスゴさ
・日本で最も短い路面電車が地元で愛される理由

…などなど岡山ならではの鉄道事情を網羅。

Part.3 岡山で動いた歴史の瞬間

・伝説の城「鬼ノ城」は古代日本の防衛ラインだった
・巨大古墳群からひもとく吉備国と大和朝廷の関係
・戦国大名・宇喜多直家は、邑久郡の小領主だった
・難攻不落の備中高松城を、血を流さずに攻め落とせ!
・宇喜多秀家が基礎を築き池田家が整備した城下町
・岡山藩藩主の憩いの場として築かれた大庭園・後楽園

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・倉敷市が一大観光地に成長した理由
・刀工集団・長船派は、どのようにして生まれたのか

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