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備前焼の歴史と魅力に迫る~日本六古窯最古のひとつといわれる陶器~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

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備前焼の歴史と魅力に迫る~日本六古窯最古のひとつといわれる陶器~

備前市伊部(びぜんしいんべ)地区周辺を産地とする備前焼は、釉薬を一切使用せず、高温で焼成する焼締め陶芸。なぜこの土地で、備前焼が生まれたのかを探ってみましょう。

備前焼の歴史

5世紀の半ば、吉備国(現在の岡山県)に朝鮮半島から須恵器(すえき)が伝わります。須恵器は高温で焼かれた硬くて丈夫な器で、献上品や葬祭器として用いられたといいます。この須恵器は当時、岡山県南部の邑久郷(おくのごう)(現在の瀬戸内市や岡山市東区)で盛んに製造されていました。

備前焼の歴史は熊山に南大窯が築かれ確立される

平安時代末期になると熊山(現在の赤磐(あかいわ)市)に南大窯が築かれ、生活用の器が生産されるようになります。大瓶・瓦などが焼かれていたと見られ、熊山周辺には当時の窯跡が数多く残っています。これが、現在の備前焼のルーツとなりました。鎌倉時代になると、陶工たちが交通の便が良い伊部(現在の備前市伊部)に移り住み、窯を築きます。生活雑器であるすり鉢は「投げても割れない」といわれるほど丈夫なことから片上港(かたかみこう)から京都・大坂などへ出荷され、圧倒的なシェアを確立しました。

備前焼の歴史は茶道とともに発展し室町時代には黄金期を迎える

室町時代中期に「侘び茶」がはじまると、備前焼は茶道用陶器として評価されるようになります。飾り気のない素朴な味わいが「侘び寂び」の世界に通じたのか、村田珠光(むらたじゅこう)は「茶陶では備前焼が最高」と評しています。茶人・千利休が備前焼を好んだことから、戦国大名たちも備前焼に注目。伊部には南・北・西に共同窯(大窯)が築かれ、巨大な大窯に多くの作品を詰めて焼き上げる共同制作が行われるようになりました。窯元六姓(かまもとろくせい)(木村・森・頓宮(とんぐう)・寺見・大饗(おおあえ)・金重)による製造体制が整うなど、備前焼は黄金期を迎えます

備前焼の歴史は衰退の危機を乗り越え全国で親しまれる陶器に

しかし江戸時代後期になると、京都・有田・瀬戸などの磁器が台頭。明治維新後は洋風文化に押される形で、備前焼には苦しい時代が続きました。衰退しつつあった備前焼を救ったのが、戦後の陶芸家たちです。1956(昭和31)年、岡山県出身の金重陶陽(とうよう)が備前焼の陶工として初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されたことにより、備前焼は低迷期を脱出。日本六古窯(越前・瀬戸・常滑(とこなめ)・信楽(しがらき)・丹波(たんば)・備前)の一つとして、全国に広く親しまれるようになりました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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