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石川県の伝統工芸は土壌に深く息づいて人間国宝の数が日本一!

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年5月17日

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石川県の伝統工芸は土壌に深く息づいて人間国宝の数が日本一!

終戦の年に戦後初の美術展を開催して以来、石川県は日本の美術工芸分野を先導してきました。
加賀藩の頃から続く工芸王国としての実績を刻んできた軌跡に迫ります。

石川の美術工芸活動は戦後60日で再スタートを切った

戦災を免れた石川県は、戦後いち早く美術工芸活動の再スタートを切りました。

昭和20(1945)年10月に石川県立美術館を開設し、そこで戦後の日本で初となる第1回現代美術展が開催されたのです。空襲の被害を受けなかったとはいえ、金沢も決して混乱がなかったわけではありません。しかし、文化の力を信じる有志らの熱意で開催された美術展は、「戦後60日の奇跡」として今も語り継がれます。

昭和21(1946)年11月には、金沢美術工芸大学の前身となる金沢美術工芸専門学校が開校。校名をあえて「美術工芸」としたところに、工芸王国としての自負が読み取れます。
昭和47(1972)年に移転、昭和54(1979)年度から大学院を設置し、多くの人間国宝や第一線で活躍するクリエイターが輩出し続ける文化拠点となりました。

金沢21世紀美術館の開館

現代美術展、通称「現美」は石川県で開催され続けてきました。石川県立美術館のほか、現在は金沢21世紀美術館も会場です。2004年に開館した同館は、たった1年で入館者数が157万人を突破。地方都市の公立美術館としては驚異的な数字となりました。さらに北陸新幹線開業後は、1年の来場者数が100万人以上増加しました。

美術館を象徴する作品の1つが、レアンドロ・エルリッヒの『スイミング・プール』です。恒久展示のためいつ訪れても鑑賞できるうえ、幻想的な写真が撮れるという分かりやすい魅力がアートに詳しくない若者をも惹きつけ、金沢観光で外せない場所となりました。

金沢21世紀美術館の開館

金沢21世紀美術館のコンセプトは、「まちに開かれた公園のような美術館」。

石川県の伝統工芸展入選者数はダントツ1位

2020年の『石川100の指標』によると、日本伝統工芸展入選者数(人口100万人あたり)において、佐賀県が24.4人で2位であるのに対し、石川県は59.5人と他の追随を許しません。さらに、石川県の人間国宝(工芸部門)は現在9名で、人口100万人あたりで見るとやはり全国1位の数字を誇ります。

石川県の伝統工芸の精神を伝授する金沢卯辰山工芸工房

けっして大都市ではないにも関わらず、これほど工芸の基盤が厚いのは、加賀藩の文化政策のおかげです。とりわけ大きいのは御細工所(おさいくしょ)と呼ばれる加賀藩お抱えの工房の存在です。当初は武器武具の制作修理をおこなう役所でしたが、それに伴って磨かれた技術によって絵細工、漆工、象眼(ぞうがん)、鍛冶などの工芸が生まれ、優れた職人たちが積極的に召し抱えられたといいます。

この御細工所の精神を、今は「金沢卯辰山(うたつやま)工芸工房」が受け継ぎます。金沢市が設立した工芸の研修機関で、研修費は材料費などを除けば基本的に無料。若い世代に工芸の精神を伝承しながら、伝統産業の振興をはかっています。

石川県の伝統工芸と魯山人

工芸王国の精神は、美食家かつ芸術家として有名な北大路魯山人をも刺激しました。大正4(1915)年、32歳のときに初めて金沢を訪れた魯山人は、商家・細野燕台(えんだい)の食客として迎えられました。燕台は、茶道、書画、陶芸、骨董ととにかく造詣が深く、自ら作った器に料理を盛り付けて魯山人をもてなしたそうです。これに感銘を受けて以降、魯山人は芸術と食への探求を深めていくことになります。

燕台によって金沢の料亭「山乃尾」の主人や山代温泉の旦那衆と引き合わされ、半年間ほど山代温泉に滞在しながら、九谷焼窯元の初代須田菁華(せいか)に陶芸を学びました。この頃から旦那衆は、まだ無名であった魯山人の才能を認めていたといいます。

その後もたびたび魯山人は山代温泉を訪れており、旦那衆と書画や骨董について語り合いながら、仕出し屋から運ばれる料理に舌鼓を打ちながら美食談義に花を咲かせました。

【石川県の伝統工芸】金沢箔

石川県を代表する工芸品のなかでも有名なのは「金沢箔」といわれる金箔です。金沢市の全国シェアはなんと約99%とほぼ独占状態。加賀藩では前田利家の時代から金箔の製造が奨励されてきた歴史があります。しかし、元禄9(1696)年、江戸幕府は江戸・京都以外で箔の製造を禁止。金銀銅のすべてを幕府の統制下におきました。

ところが、加賀ではひそかに金箔の製造が続けられていたといいます。その理由は、浄土真宗が広まった地域であったがゆえに、仏壇や仏具の製造に欠かせない金箔を切らすわけにはいかなかったからだといわれます。湿度が高く、静電気や乾燥とは無縁の気候も幸いしました。藩政が崩壊して統制がなくなってからは、金沢箔の質の良さが一気に広まり、市場の独占にいたりました。

【石川県の伝統工芸】加賀友禅

煌びやかさでいえば、加賀友禅も負けてはいません。室町時代、すでに加賀地方には、「梅染」という無地染があったといわれますが、藩政期に入ってからそこに模様が施されるようになりました。特に、絵師の宮崎友禅斎が京都から金沢に移り住み、加賀染の新しい模様を生み出してからは飛躍的に発展し、加賀友禅と呼ばれるようになりました。

京友禅とは対照的に写実的な草花模様を中心としており、アクセントに虫喰いなどの表現が使われるほどリアルさを追求するため、本物の虫喰いがあればむしろ価値が上がるという人もいます。

【石川県の伝統工芸】加賀友禅

加賀友禅会館

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