フリーワード検索

トップ > カルチャー >  北陸 > 石川県 >

大野醬油は北前船で発展!なぜ大野は日本五大醬油産地になった?

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年5月18日

この記事をシェアしよう!

大野醬油は北前船で発展!なぜ大野は日本五大醬油産地になった?

大野醬油は、甘みのある「うまくち醬油」として有名です。
その発展には、原料を調達し、できあがった醬油を日本各地へ運んだ北前船の活躍がありました。

大野醤油が生まれた大野は日本の五大醬油産地!

金沢市大野町を散策してみると、昔ながらの醬油蔵が残っていることに気づきます。金沢市では、歴史を色濃く残した町並みを「こまちなみ保存区域」としていますが、大野もそのうちの1つです。「ヤマト醬油味噌」や「直源醬油」を筆頭に、20社近くの醬油メーカーがここに集まります。最盛期は60軒以上の醬油醸造業者が存在し、日本の五大醬油産地と言われました。

大野醤油の始まり

大野の醬油作りは、約400年前にさかのぼります。加賀藩2代前田利常が、大野の町人であった直江屋伊兵衛に命じ、醬油醸造法を学ばせたのが始まりです。のちに前田家は参勤交代を利用し、東海道五十三次の宿場で大野醬油の宣伝までしていたといいます。当初は近畿圏にしかなかった醬油醸造技術をいち早く取り入れ、五大産地にまで発展させたのだから、前田利常には先見の明があったと言わざるを得ないでしょう。

大野醤油はほど良い甘さの「うまくち醬油」

直江屋伊兵衛は、大野を代表する直源醬油の祖として知られます。彼が醬油醸造を学んだ地域については、紀州湯浅、野田、銚子などいくつかの説があります。しかし、大野醬油は関東の辛口とは異なり、甘口ですが九州ほどではないことから、紀州湯浅で醸造を学んだとの見方が有力です。

ほど良い甘さの大野醬油は、甘みに旨みを加えた「うまくち醬油」と呼ばれます。色も比較的に淡く、麺類や煮物、かけ醬油として使っても、自己主張しすぎません。素材そのものの味、香り、色を引き立たせる醬油は加賀藩の豊かな食文化のなかで愛され、加賀料理にも欠かせないものとなっていきました。

大野醬油は北前船で各地へ運ばれた!

大野醬油が栄えたのには、北前船の存在が大きく影響しました。鉄道や自動車が普及する前は、物資や人の移送は海運・水運に大きく頼っていました。特に北前船と呼ばれる廻船は、函館からは昆布やニシンを、日本海側の港町からは米・醬油を積み込み、各地へと運びました。大野も北前船の寄港地であったため、麦や大豆、能登の塩などの調達が容易で、それらの材料によって造られた大野醬油もまた北前船で各地へ運ばれていったのです。

北前船の西廻り航路と北陸の主な寄港地

北前船の西廻り航路と北陸の主な寄港地

船の寄港地は、日本海沿岸だけで大小100港以上あり、その母港(船主が住む港)の多くは北陸地方の港でした。西廻り航路を最初に試したのは前田利常。それまでは、敦賀で船荷を陸揚げし、陸路と琵琶湖を経て大津、京都、大阪へと運ぶのが日本海側からの物資輸送ルートでした。そこで前田利常は、米を下関、瀬戸内海を経由して大阪に廻送し、このルートの利便性を証明しました。

大野醬油を運んだ北前船の大海商・銭屋五兵衛

北前船の大海商といえば、銭屋五兵衛、通称「銭五」がよく知られます。39歳のときに海運業を始め、類まれなる才覚を発揮した人物です。

銭屋五兵衛は大野に隣接する金石(かないわ)(当時は宮腰)の出身で、そこが銭屋五兵衛の本拠地であったため、大野港も北前船の動きが活発となりました。大野の醬油醸造元のなかには、先祖は北前船の船主、あるいは海運業だったという家も少なくありません。銭屋五兵衛も海運業を営むかたわら、両替商、呉服商、質屋なども手がけ、加賀藩の経済において存在感を強めていきました

あまりにも強大な財力をもってしまったために、最後には加賀藩の政争に巻き込まれて獄死しますが、海外交易の先駆者だと讃える声は多いです。金石にある石川県銭屋五兵衛記念館では、彼の功績や波乱に満ちた生涯を伝える資料が展示されています。

大野醬油誕生と発展の要因とは

北前船の活躍を除いても、大野は恵まれた土地です。白山とそこから流れる川が作った扇状地の扇端に位置し、古くから伏流水が湧き出ている場所だったからです。この清洌な地下水が、醬油醸造のための仕込み水として重宝されてきました。かつては、「ほんぬき」「もっくり」などと呼ばれた湧水が街道沿いにあったといわれます。

雨の多い湿潤な気候も、醬油の発酵における麹菌の育成に一役買っています。城下町としての食文化、北前船の発展、地の利。どれか1つでも欠けていれば、大野のうまくち醬油は誕生していなかったかもしれません。

大野醤油を購入するならこちら

石川はなぜこんなに発酵食品が浸透している?

石川県は日本有数の発酵王国として知られます。塩漬けにしたブリを同じく塩漬けの蕪(かぶ)ではさんだ「かぶらずし」や、ナマコの腸を塩漬にした「このわた」、スルメイカと塩で作る珍味「イカの塩辛」などが石川県を代表する発酵食品です。醬油は醬油でも、魚醬の「いしる」も有名です。なぜ石川にはこれほど発酵文化が根付いているのでしょうか。

まずは気候的な理由があげられます。冬は寒く、雪が積もることも当たり前ですが、一定の低温で素材を保つことができるという、食品の発酵に適した環境であるといえます。さらに、地理的な理由があります。北陸は、昔から豊富な漁獲量を誇ってきました。時には消費が追い付かないほど大量に獲れるため、獲った魚をなんとか保存しておく必要があったのです。また、米の収穫も多かったため、発酵に使う麹や糠もなじみ深いものでした。塩田から塩を手に入れることも容易でした。

こうして古くから育まれてきた発酵食品には、恵まれた風土や北陸らしい気候が凝縮されています。そこに先人の知恵と経験が加わり、今日も貴重な食文化の財産として受け継がれています。

『石川のトリセツ』好評発売中!

地形、交通、歴史、産業…あらゆる角度から石川県を分析!
石川県の地形や地質、歴史、文化、産業など多彩な特徴と魅力を、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント。石川の知っているようで知られていない意外な素顔に迫ります。地図を片手に、思わず行って確かめてみたくなる情報満載!

Part.1 地図で読み解く石川の大地

・石川県は天気予報が難しい?能登と加賀の地形と天気
・伊能忠敬を苦しめた外浦・内浦
・珠洲岬はなぜパワースポット?
・霊峰白山と「しらやまさん」
・金沢は街そのものが博物館
・能登の歴史的遺産「千枚田」
・金沢の用水が果たした役割
・坂を上ると世界が変わる?魔性が宿る金沢の坂
・市内に25ヵ所以上の石切り場が存在!小松は日本の宝玉の産地

Part.2 石川を走る交通網のアレコレ

・開業後、石川はどう変わったか?北陸新幹線のココがすごい!
・活発化する海の玄関口、金沢港
・官民共用で発展する小松飛行場
・路面電車「青電車」が消えた理由
・鉄道交通の要「金沢駅」の誕生秘話
・粟崎へ人々を運んだ浅野川電鉄
・石川の伝統工芸が随所にあしらわれた、能登を走る2つの観光列車
・石川県唯一の私鉄、北陸鉄道の歴史をふりかえる

Part.3 石川の歴史を深読み!

・実は3代利常が名君だった!
・前田家の運命を決めた末森城
・利家の妻が有名なのはなぜ?賢妻としてまつが残した功績
・地名の由来はお坊さん?金沢モダンを象徴した香林坊
・縁結びの聖地、恋路海岸に伝わる悲恋伝説
・城郭建築の美を感じる金沢城
・芭蕉や与謝野晶子が愛した加賀四湯
・江戸時代から続く近江町市場
・日本在来馬「能登馬」とは?
・「小京都」と呼ばれたくない!金沢で受け継がれる武家文化
・那谷寺は胎内くぐりの聖地だった
・平家の末裔と2つの時国家
・倶利伽羅峠と安宅関で辿る義経の悲劇
・有名古墳&遺跡はココに注目

…etc.

Part.4 石川で育まれた文化や産業

・六の数字に込められた意味とは?日本三名園「兼六園」は理想の庭
・人間国宝の数が日本一!石川県に息づく伝統工芸の土壌
・古九谷に込めた前田家の対抗心
・あの国宝は実は下絵だった!? 等伯の最高傑作『松林図屏風』
・三文豪が愛した犀川と浅野川
・大伴家持の能登巡行と万葉集
・偉人を輩出した第四高等学校
・祭りのない金沢、祭り天国能登
・和倉温泉と日本一の宿「加賀屋」
・県民の寿司愛と豊富な海の幸
・北前船で発展した大野醤油

…etc.

『石川のトリセツ』を購入するならこちら

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  北陸 > 石川県 >

この記事に関連するタグ