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茶の湯と和菓子が浸透した加賀~わびさびの心が息づく理由とは? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年5月18日

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茶の湯と和菓子が浸透した加賀~わびさびの心が息づく理由とは?

前田家の当主たちは千利休から茶を学び、茶の湯文化を普及させてきました。
茶道の発展とともに和菓子も浸透し、甘党が多い加賀の土地柄につながったといわれます。

茶の湯の始まり

江戸時代、茶の湯は武家のたしなみであり、茶会は社交場でした。茶道の祖といわれる村田珠光(じゅこう)によって、当時の高価な「唐物(からもの)」(中国産の陶磁器)を重んじる風潮に対し、ありふれた道具を用いた侘茶の文化が生まれ始めました。その心は千利休や古田織部らに継承され、さらには利休の孫にあたる千宗旦(せんのそうたん)や小堀遠州らに受け継がれてきました。

加賀の茶の湯文化は前田家の当主たちが普及

加賀藩前田家は、この茶の湯文化に傾倒しました。前田家初代利家は茶の湯を千利休らに学び、豊臣秀吉が天正15(1587)年に開催した茶会「北野大茶湯(おおちゃのゆ)」では実務にあたりました。2代前田利長も同様に茶を学び、前田利長にとって最も怖いのは「千利休の前で茶を点てること」だと述べていることから、点前に対していかに真剣であったかが感じられます。

続く3代前田利常もやはり茶の湯をたしなみ、小松城隠居後の慶安5(1652)年には、利休の孫・宗旦の四男にあたる仙叟宗室(せんそうそうしつ)(後に武者小路千家(むしゃのこうじせんけ)、表千家(おもてせんけ)と並んで三千家と称される裏千家の始祖)を召し抱え、茶の湯文化の保護・奨励に努めました。

小松で茶道茶具奉行となった仙叟は、前田利常が66歳でこの世を去るまで仕え、家臣はもちろん、城に出入りする商人や町人にまで茶道を教えました。このため、小松は特に茶の湯文化が根強い地域です。

仙叟屋敷ならびに玄庵周辺地図

仙叟屋敷ならびに玄庵周辺地図

仙叟屋敷ならびに玄庵は芦城公園内にあります。茶室は仙叟没後300年を記念して、茶道裏千家 15代鵬雲斎汎叟千玄室氏により小松市へ寄贈されました。茶室・茶庭の見学は無料。1週間前までに申し込みが必要となります。

茶の湯の発展とともに加賀に和菓子が浸透した理由

茶の湯が栄えるにつれ、和菓子も普及し始めました。芸術としての質が向上し、寺社菓子や縁起菓子、四季折々の菓子として庶民の暮らしに定着していきました。

庶民に和菓子が浸透したもう1つの要因として、信仰心の厚さが挙げられます。真宗王国といわれた加賀の人々は仏事を大事にしており、報恩講の際には落雁や饅頭、最中が盛大に供えられてきました。これは親鸞聖人の命日である旧暦11月28日前後、その恩に感謝する法要で、今でも「ほんこさん」と呼びならわされています。供えられたお菓子は仏事の後で参加者に分け与えられ、それが門徒の楽しみでもありました。

加賀の和菓子は少々甘め!

加賀の和菓子は、他の地域の同じ菓子よりも少々甘みが強いものがあります。北陸は湿度が高いため、長く保存できるようにと砂糖を多めに入れることがあったそうです。雪が多く寒い土地柄、カロリーを摂取できるように甘みを強めたともいわれます。

また、当時、高級な砂糖としては阿波の和三盆が知られていましたが、なかなか庶民の手が届くものではありませんでした。そこで、和三盆なしでも和菓子の高級感を高めるためにも、砂糖をふんだんに使ったという説もあります。

これらのエピソードが関係あるかは定かではありませんが、加賀はとにかく甘党が多い地域です。アイスクリームにかける都市別1世帯当り支出金額という調査において、直近9年のうち6回トップの座を獲得しているのが金沢市です。寒いからこそ、暖かい部屋やこたつでアイスクリームを食べるのが、金沢の人々にとって冬の醍醐味なのかもしれません。

加賀の和菓子屋の跡継ぎからパティシエになった辻口博啓氏

ちなみに、日本を代表する有名パティシエの辻口博啓氏の実家は、七尾にあった老舗の和菓子屋です。和菓子屋の跡継ぎとして生まれながらパティシエを志したのは、小学生のときに友達の誕生会でイチゴのショートケーキを食べて感動したのがきっかけというのは少し皮肉な話です。しかし、辻口氏の部屋は店の厨房の上にあり、いつも甘い匂いがただよっていたというので、菓子職人になるための環境としては申し分なかったのではないでしょうか。

石川で氷室饅頭を食べる習慣はいつから?

石川県には、氷室饅頭という縁起菓子があります。毎年7月1日(旧暦6月1日)は「氷室の日」と呼ばれ、この日に氷室饅頭を食べると、夏を無病息災で乗り切れるといわれます。

起源は藩政時代。前田家では冬場に積もった雪を氷室と呼ばれる自然の保冷庫に保存し、旧暦6月1日に氷室を開き、貯えた氷を徳川幕府に献上していました。このとき、江戸まで無事に氷が届くようにと神仏に麦饅頭が供えられたため、そこから大事なものの無事や無病息災を祈って饅頭を食べる習慣が今日まで伝わりました。

家庭や職場だけでなく、得意先、果ては娘の嫁ぎ先にまで持参されて親戚や近所に配られるため、7月1日には何個も氷室饅頭を食べることになる人も多いといいます。

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