フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  関東 > 栃木県 >

東北本線の歴史~熊谷から分岐して県南を通る予定だった!?路線決定の紆余曲折~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

この記事をシェアしよう!

東北本線の歴史~熊谷から分岐して県南を通る予定だった!?路線決定の紆余曲折~

首都圏と東北を結ぶ大動脈として、県内を縦断する東北本線。路線は大宮駅から高崎線と分岐して県央を宇都宮に向かいますが、当初は熊谷から県南を迂回する案もありました。

東北本線の歴史は日本鉄道会社からはじまる

栃木県内を南北に縦断するJR東日本の東北本線は、東京駅と盛岡駅を結ぶ鉄道路線で、かつては上野駅と青森駅をつなぐ、日本最長の営業キロ数を誇る路線でした。そもそも1881(明治14)年に、維新の大立者として知られる岩倉具視(いわくらともみ)の呼びかけで設立された「日本鉄道会社」が、東京~青森を5つの区に分けた大規模な鉄道路線の計画を立てたのが始まりです。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  関東 > 栃木県 >

この記事に関連するタグ