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東山道から下野国の律令期を概観~遺跡をたどれば古代の道が見えてきた!~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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東山道から下野国の律令期を概観~遺跡をたどれば古代の道が見えてきた!~

飛鳥時代から奈良時代になると、大宝律令の確立で平城京のある都と東北を結ぶ官道・東山道が整備されました。下野を通るこの道は、文化と経済の大動脈でした。

東山道が整備された頃の時代背景

ヤマト王権の都がまだ飛鳥(あすか)の藤原京にあった701(大宝元)年、日本ではじめて、律(りつ)(現在の刑法)と令(りょう)(現在の民法)、さらに行政のきまりをそろえた大宝律令が完成し、官僚機構を備えた中央集権国家が成立しました。これに合わせて、都と地方を結ぶ官道も整備されます。

東山道は都を起点として下野国に至る

官道は都を中心に、太平洋沿いに関東へ向かう東海道、日本海に出て北に向かう北陸道、瀬戸内海に沿って西へ向かう山陽道、日本海側を西に向かう山陰道、紀伊(きい)国から淡路を経て四国へ至る南海道、九州への交通となる西海道、そしてみちのくに延びる東山道の7つがありました。東山道は、都を起点に、近江(おうみ)国、美濃(みの)国、信濃(しなの)国、そして上野(こうずけ)国をへて下野(しもつけ)国に至ります。そして、ここからさらに、道は陸奥(むつ)にまで達するのでした。

五畿七道

大宝律令によって、全国は山城・大和・河内・摂津・和泉の5か国である「五畿」と、東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の七道に分けられました。これらは行政区分であるとともに、道路の名称でもあったのです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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