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名族宇都宮氏の栄枯盛衰~宇都宮氏の依頼で『小倉百人一首』はできた?~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年5月17日

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名族宇都宮氏の栄枯盛衰~宇都宮氏の依頼で『小倉百人一首』はできた?~

平安時代後半から室町末期まで、400年以上にわたって宇都宮周辺を支配した豪族・宇都宮氏は、『小倉百人一首』の成立にも関わった文化人武士の一族でした。

宇都宮氏とは?

中世の下野(しもつけ)を代表する名門武士団のひとつが、現在の宇都宮市を本拠とした宇都宮氏です。来歴には諸説ありますが、平安時代に権勢を誇った藤原道長の兄である、道兼をルーツとする説が多くあります。道兼の曾孫・宗円は、11世紀に東北地方で起こった前九年・後三年の役に際し、朝廷軍に従って宇都宮を訪れ、宇都宮明神(現在の宇都宮二荒山神社)の座主となったとされます。

宇都宮氏は源平の合戦で源頼朝に従い奔走

宗円の孫である3代朝綱(あさつな)は、神社の名前から宇都宮を名字とし、源平の合戦では源頼朝に従い奔走。その功績により朝綱は、源頼朝から改めて宇都宮社務職の地位を安堵(あんど)され、伊賀国壬生(みぶ)野の郷の地頭職を与えられるなど、御家人としての立場を固めていきました

宇都宮氏の立場が不安定だった鎌倉幕府成立初期

ところが1194(建久5)年、朝綱は下野の国司から訴えられ、自らは土佐(とさ)へ、跡継ぎの孫である頼綱(よりつな)は豊後(ぶんご)へと流罪となります。その後、一族の罪は許され朝綱は下野に戻りますが、家督を頼綱に譲り出家して隠居。本拠地である宇都宮から離れた大羽(おおば)(現在の益子町)で隠棲し、その生涯を終えます。1205(元久2)年、今度は頼綱に謀反の疑いがかけられますが、出家して幕府への忠誠を示し、事なきを得ます。

宇都宮氏は鎌倉幕府を支える有力御家人となる

このように、鎌倉幕府成立初期こそ、不安定な立場にあった宇都宮氏ですが、後鳥羽上皇と幕府執権の北条義時が戦った承久の乱では幕府方に与して活躍。その勲功として、伊予国の守護職、また美濃国の守護職にも任じられます。こうして鎌倉幕府を支える有力御家人として確固たる地位を築いた宇都宮氏は、6代泰綱(やすつな)が幕府の要職である評定衆(ひょうじょうしゅう)に、7代景綱は訴訟を審理する引付衆(ひきつけしゅう)の筆頭を務めるなど、幕府内での地位を高めました。

宇都宮氏は下野の名門武士団として栄え続ける

その後、鎌倉幕府が足利尊氏(たかうじ)に滅ぼされ、室町幕府が開かれてからも、宇都宮氏は下野の名門武士団として引き続き栄えていきます。その名声は朝廷が南北に分かれて争った南北朝の時代になっても高く、南朝の勇将・楠木正成は、戦上手な宇都宮氏9代公綱(きんつな)を「坂東一の弓矢取り」として争いを避け、10代氏綱は室町幕府が分裂した観応の擾乱(かんのうのじょうらん)で、足利尊氏の危機を救う大活躍をしています。

宇都宮氏は秀吉から改易を言い渡される

その後も下野で勢力を保った宇都宮氏ですが、22代国綱(くにつな)の時代、豊臣秀吉が天下を統一したあとの1597(慶長2)年、突如秀吉から領地を没収され、改易を言い渡されます。検地に際して秀吉の怒りをかった、あるいは家督をめぐるお家騒動を咎められたともいわれていますが、明確な理由は定かではありません。いずれにしても、平安以来の名門一族の最後にしては、あまりにあっけないものでした。

宇都宮氏の文芸活動は『小倉百人一首』の原型となった

400年以上、22代にわたる宇都宮氏の栄枯盛衰のなかで注目すべきは、5代頼綱(出家して蓮生(れんしょう)と名乗る)を中心とした文芸活動です。鎌倉幕府を支える御家人として政務や領国経営をする一方、宇都宮頼綱は京都や鎌倉の文化人と盛んに交流しました。特に和歌に通じたことから、一族によって「宇都宮歌壇」ともいうべき地方歌壇を形成します。また、京都では当代随一の大歌人である藤原定家と縁を持ち、自らの山荘の襖に貼る和歌百首を定家に選んでもらったといいます。これがのちの、『小倉百人一首』の原型になったとされています。

宇都宮氏ゆかりの地

市内には、二荒山神社をはじめ、宇都宮氏ゆかりの場所が残ります。5代頼綱が開基した清厳寺のほか、興禅寺、生福寺、慈光寺は歴代の当主が開基。居城であった宇都宮城は、現在公園になっています。

「宇都宮」の名前の由来は?

宇都宮という名前の由来には、さまざまな説があります。そのひとつが、宇都宮明神(二荒山神社)に関係するという説。同社が下野国一の宮であったことから、「いちのみや」が「うつのみや」に転訛し、これに文字を当てて、いつしか「宇都宮」になったといわれています。

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