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藤原秀郷とは何者か?~承平天慶の乱で平将門を討った豪傑~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年5月13日

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藤原秀郷とは何者か?~承平天慶の乱で平将門を討った豪傑~

関東で起こった平将門の乱は、武士の時代の幕開けを告げます。この乱で将門を破った藤原秀郷は、中世・下野国で重要な役割を果たす多くの武家の祖先でした。

藤原秀郷が生きた時代背景

大宝律令(たいほうりつりょう)の制定から200年以上が過ぎ、地方においては新たな土地の開発が進められる一方、それらの支配権は複雑化していきます。このため土地をめぐり、中央政府の意を受けた国司と地域の有力な豪族、あるいは豪族同士の対立が大きな問題となりました。このような時代の要請を受けて、対立の調停者として台頭してきたのが、地方における有力な「武士」たちです。その多くは土着した軍事貴族であり、武芸に秀でた彼らは多数の兵を養い、武装集団と化していきました。

武士時代の幕開けを告げた平将門の乱

桓武天皇の曾孫であった高望王は、平朝臣(たいらのあそん)を賜姓(しせい)され国司として上総(かずさ)国に赴任。その後、土着していきました。この高望王の孫として生まれたのが平将門(まさかど)です。平将門は現在の茨城県西部に当たる下総(しもうさ)の豊田や猿島といった地域に勢力を張り、武力を蓄えていました。この平将門が、常陸(ひたち)や下野(しもつけ)など関東各地の国府を襲い、自らを「新皇(しんのう)」と称して都に叛旗をひるがえしたのが939(天慶2)年に起こった平将門の乱で、瀬戸内海での藤原純友の乱と併せて、承平天慶の乱と称されます。

藤原秀郷は平将門を打ち破り確固たる地位を築く

朝廷は平将門の追捕を配下の貴族や関東方面の豪族に命じるものの、その動きは鈍いものでした。そこに登場したのが、下野の豪族・藤原秀郷(ひでさと)でした。藤原秀郷は都からの軍勢が到着する前に、平貞盛(さだもり)とともに将門軍を攻撃。猿島郡北山での合戦でこれを討ち破り、一躍、その名を天下に示します。平将門討伐の功績により、藤原秀郷は朝廷から従四位下(じゅしいげ)、下野守(しもつけのかみ)、武蔵守、そしてのちには武士の最高位ともいえる鎮守府(ちんじゅふ)将軍に叙せられ、関東における軍事貴族としての地位を確固たるものにします。

藤原秀郷の子孫は東国の有力な武士団となった

名流・藤原北家(ほっけ)に属する藤原魚名(うおな)の子孫に当たるとされる藤原秀郷は、曾祖父の代から下野に関わりを持った豪族であり、藤原秀郷の頃には、地元・下野の国司と紛争をするほどの武力を有する実力者となっていました。その結果、平将門の乱が起こった時には、地域の治安維持を担う役割である押領使(おうりょうし)に任じられており、朝廷の期待に応えて平将門を討ち果たしたのです。こうして下野における藤原秀郷一族の勢力は盤石となり、鎌倉時代には藤原秀郷の子孫である足利氏や小山(おやま)氏、佐野氏や結城(ゆうき)氏などが、東国の有力な武士団となっていきました。

藤原秀郷を主人公とした物の怪退治の伝説

ところで藤原秀郷は、平将門を討ち果たした豪傑というキャラクターで知られたことから、のちに、藤原秀郷を主人公にした物の怪退治の伝説が複数残されています。たとえば近江(おうみ)国の三上山で、龍神の一族を苦しめる大ムカデを退治し たという『俵藤太(たわらのとうた)物語』(俵藤太は秀郷の別名)は、古い絵巻や太平記の挿話が原型といわれ、その後、お伽話として全国各地で広く読み継がれるようになりました。

宇都宮に残る百目鬼退治の民話

宇都宮でも百の目を持つ大鬼である百目鬼(どうめき)を退治したという民話が残されています。ちなみに、この時退治された百目鬼は、栃木県の伝統工芸品である「ふくべ細工」の代表的な魔よけ面のモチーフになりました。また、百目鬼が倒されたとされる宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社北側、県庁通りの一本南に位置する小路は、現在「百目鬼通り」と呼ばれています。

宇都宮二荒山神社周辺

藤原秀郷は、宇都宮大明神(現・宇都宮二荒山神社)で授かった霊剣で平将門を討ったといわれています。また、その際に着用したとされる兜(かぶと)が同神社に伝わっています。

宇都宮二荒山神社

住所
栃木県宇都宮市馬場通り1丁目1-1
交通
JR宇都宮駅から徒歩15分
料金
見学料=無料/

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