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栃木県の歴史が県に対する愛着が希薄な県民性の原点に? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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栃木県の歴史が県に対する愛着が希薄な県民性の原点に?

近世の栃木には大藩がなく、国は中小藩や旗本支配地などにより細分化されていました。それには、奥州への出入り口という地理的位置と、日光東照宮の存在が関係しています。

栃木県の歴史に県民性の原点が?

県民性という話になると、栃木県民は「県に対する愛着が希薄で、まとまりがない」などといわれることがあります。これは近世における下野(しもつけ)国には、水戸藩や薩摩藩のような大藩がなく、国が中小の藩や幕府の領地などに細分化されていたからかもしれません。

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