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薩摩島津氏が目指した九州統一と豊臣秀吉の九州攻め 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月22日

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薩摩島津氏が目指した九州統一と豊臣秀吉の九州攻め

戦国時代末期、島津氏は九州南端から九州統一目前まで迫りました。
島津氏がどのように版図を拡大していったか、その過程を追っていきましょう。

薩摩島津氏のはじまり

薩摩島津氏は、初代・島津忠久が鎌倉幕府成立時に源頼朝から島津荘の下司職に任じられたことに端を発します。島津忠久はさらに薩摩国、大隅国、日向国(宮崎県)、越前国(福井県)の守護職に任じられますが、鎌倉時代から室町時代にかけて内紛や反乱が続き、支配領域は縮小していきました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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