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黒部ダム建設の歴史~前人未到の秘境“黒部峡谷”を乗り越え大電源を生み出すまで~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月26日

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黒部ダム建設の歴史~前人未到の秘境“黒部峡谷”を乗り越え大電源を生み出すまで~

急流河川の多い富山県は、水のエネルギーを利用する水力発電が盛んにおこなわれていました。なかでも黒部川は日本屈指の急流として着目され、難工事の末に黒部ダムが築かれたのです。

黒部ダムの歴史①:秘境の地・黒部峡谷で見出した大電源

立山連峰の火山活動と後立山(うしろたてやま)連峰の隆起で形成された地形を、黒部川が浸食してできた大規模なV字谷が黒部峡谷です。なかでも峡谷の核心部は「下ノ廊下(しものろうか)」といわれる上級者向けの登山道で、危険箇所が連続する難所。猟師すら足を踏み入れないといわれた秘境でした。この秘境が開削されたのは大正時代ですが、そのきっかけとなったのが黒部川の電源開発です。

厳しい自然環境にも関わらず、わざわざここで電源開発がおこなわれたのは、黒部川の豊富な水量と大きな落差のためです。黒部川流域は多雨地帯で、年間降水量は約4000㎜。さらに、河川勾配が平均の約40分の1という類稀なる急流河川となっています。水力発電は、水が高所から低所へ落ちる際の位置エネルギーを利用しています。黒部川の豊富な水量と急勾配が大きな電源となることは明らかで、自然の険しさと奮闘してでも利用する価値がありました。

黒部峡谷で本格的な電源開発が始まる

黒部峡谷で本格的な電源開発が始まったのは、化学者・高峰譲吉(たかみねじょうきち)が東洋アルミナム株式会社を設立したことに端を発します。高峰譲吉の出身地・高岡市には銅加工の技術があり、高峰譲吉はその技術をアルミ工業に生かせると考えました。しかし、アルミ工業には大量の電気を要します。当時は輸入に頼っていましたが、国内精錬を実現するために、必要な電力を黒部川に求めたのです。

水利権取得まで漕ぎつけたものの、大正11(1922)年、計画は第一次世界大戦後の不況と高峰の死によって頓挫。これを機に、東洋アルミナムの経営権は日本電力へ移り、黒部川の電源開発も日本電力に委ねられました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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