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秋田の中世史~秋田県域に関東御家人が入部して戦国時代には中小領主が乱立する 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年6月29日

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秋田の中世史~秋田県域に関東御家人が入部して戦国時代には中小領主が乱立する

豪族によって治められていた秋田の地に、武家が入部していました。
政治的大転換を迎え、秋田県域では武士が支配権を巡って争うようになります。

【秋田の中世の歴史①】鎌倉幕府による支配

1185(文治元)年、朝廷は源頼朝に対して諸国の守護や地頭を設置・任免を許可しました(文治の勅許(ちょっきょ))。この時点で日本最初の武家政権が実質的に成立したことになります。

頼朝は奥州藤原氏を攻め滅ぼしたあと、関東の御家人を奥州各地の地頭に任命。奥州全域に鎌倉政権の支配力を及ぼしていきますが、八郎潟(はちろうがた)東岸を拠点とする大河兼任(おおかわかねとう)が反旗を翻しました(大河兼任の乱)

北条氏による出羽国支配の強化

鎌倉幕府では源家将軍の血筋が絶えたあと、執権北条氏が実権を握ります。北条氏に対しては後鳥羽上皇が挙兵するも、北条氏はこれを破って権力基盤を盤石なものとすると(承久の乱)、有力御家人を出羽守に任じ、出羽国における幕府支配を強化しました。

【秋田の中世の歴史②】勢力図が変遷した南北朝時代

その鎌倉幕府が1333(元弘3)年に滅ぶと、陸奥国には北畠顕家(きたばたけあきいえ)が義良親王(のりよししんのう)(後村上天皇)を奉じて多賀国府(宮城県多賀城市)に入りました。

いっぽう出羽国では、後醍醐天皇の側近・葉室光顕(はむろはるあき)が国守となります。このため南北朝時代初期において陸奥国では南朝方が優勢でしたが、光顕が任地で討たれ、さらに顕家が石津(大阪府堺市)の戦いで敗死すると、北朝方の優位が確定するのでした。

【秋田の中世の歴史③】安東氏が台頭した戦国時代

南北朝時代以降、秋田県域では鎌倉時代以来の国人領主が在地で力を蓄えました。なかでも浅利氏や小野寺氏などが有力でしたが、安倍氏の末裔を自称する津軽の安東氏が南下してきて秋田市域に土着します。これらの中小の領主層が抗争を繰り広げ、やがて戦国大名化していきますが、そこから抜きんでたのが安東氏でした。

戦国時代の秋田県域のおもな領主

戦国時代の秋田県域のおもな領主
『図説 秋田県の歴史』(河出書房新社、1987年)を元に作成

戦国時代は日本各地で下克上の風潮が広まり、守護大名にかわって戦国大名が台頭していきました。しかし、東北地方には下克上の風潮があまりなく、小規模な大名が乱立していました。

安東氏は繁栄の後、秋田氏と名乗る

安東氏は湊城(秋田市土崎)を本拠とし、安東愛季(ちかすえ)の代に津軽と秋田の安東氏を統一。雄物川流域の舟運や湊を整備し、蝦夷地のアイヌとの交易も活発化させました。

安東愛季は安東氏繁栄の礎を築きましたが、1587(天正15)年に角館地方の戸沢氏との合戦中に討死してしまいます。安東愛季の死後、家督を継いだのは実季(さねすえ)でしたが、従兄の安東通季(みちすえ)が戸沢、小野寺、南部といった周辺大名らと結んで反乱を起こします(湊合戦)。実季はこの乱を治め、戦国大名としての地位を安定化させるのでした。

なお、安東氏はこの実季の代から「秋田氏」を称するようになります。

【秋田の中世の歴史④】豊臣政権下で活躍する秋田実季

秋田実季は出羽北部の3郡(秋田、檜山(ひやま)、比内(ひない))を支配し、中央政権とも誼(よしみ)を通じました。

1590(天正18)年に豊臣秀吉が天下統一の総仕上げに小田原征伐を行うと、秀吉の要請に応じて参陣。戦後の論功行賞(奥州仕置)では先の湊合戦が惣無事令(私戦禁止)違反と見なされましたが、秋田実季の働きかけが功を奏して本領を安堵されました。

翌1591(天正19)年、奥州仕置に不満を抱く九戸政実が反乱を起こすと、秋田実季は豊臣秀次(ひでつぐ)を総大将とする討伐軍に参加しました。また、文禄・慶長の役でも出兵するなど秋田氏は豊臣政権下で確固たる地位を築いていくのでした。

【秋田の中世の歴史④】豊臣政権下で活躍する秋田実季

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・美しき田園・象潟の九十九島は鳥海山の山体崩壊でできた
・大館・鷹巣・鹿角盆地と能代平野 米代川流域に形成された地形の謎

Part.2 秋田を駆ける充実の交通網

・全国2番目のミニ新幹線、E6系「こまち」が走る秋田新幹線
・一部レール幅を変えて新幹線もいく!福島~青森を結ぶ幹線・奥羽本線
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・米代川に沿って走る本州横断線 スイッチバックも見事な花輪線
・東能代~川部を結ぶ絶景ローカル線 「リゾートしらかみ」が走る五能線
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Part.3 秋田の歴史を深読み!

・秋田の古代史総論
・大型住居跡やストーン・サークルなど秋田県の縄文遺跡がおもしろい!
・出羽柵が遷置・整備されて秋田城と呼ばれるようになった
・奥羽を支配した出羽の豪族・清原氏が後三年の役により滅亡
・秋田の中世史総論
・八郎潟東岸を拠点とする大河兼任が鎌倉幕府に対して反乱を起こす
・秋田の近世史総論
・佐竹氏の入部以降、鉱山開発が進み鉱業が秋田藩の財政を支えた
・古来より栄えていた舟運に加え街道が整備され交易が盛んに!
・近現代史総論/奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側へ 秋田藩の戊辰戦争と戦後のゆくえ
・日本最後の空襲となった土崎空襲 どうして土崎港が狙われたのか?

Part.4 秋田で育まれた産業や文化

・全国屈指の産油量だった秋田県がシェールオイルの開発・商業生産へ
・秋田港、船川港、能代港 三つの重要港湾が海上輸送網の拠点
・国内有数の米どころ・秋田県は農業産出額の5割以上を米が占める
・かつては国内2位の広さを誇る湖!? 八郎潟の干拓と大潟村の歴史
・古来より建材や工芸品に用いられた秋田杉の活用と保存の取り組み
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