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秋田の近世史~出羽半国に減転封された佐竹氏が久保田城を拠点に維新まで統治する

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年6月29日

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秋田の近世史~出羽半国に減転封された佐竹氏が久保田城を拠点に維新まで統治する

江戸時代に秋田県域の大半を支配下に置いたのは、常陸から転封してきた佐竹氏でした。
佐竹氏の治世のまま、江戸時代約260年が経過していきます。

【秋田の近世の歴史①】関ケ原の戦いでの戦果が波及

1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いでは秋田実季は徳川方(東軍)に味方し、「奥州の関ヶ原」こと慶長出羽合戦では最上義光(もがみよしあき)らとともに西軍を攻めました

関ヶ原の戦いは東軍の勝利で幕を下ろしましたが、最上義光が「秋田氏は小野寺氏(西軍)と通じている」と徳川家康に讒言(ざんげん)したため、一転して窮地に追いやられます。秋田実季は家康に弁明して嫌疑を晴らし、処分を免れました。

【秋田の近世の歴史②】減転封され出羽国が領地となった佐竹氏

その直後の1602(慶長7)年、常陸(ひたち)国(茨城県)の佐竹氏が出羽国へと移封されることになります。佐竹氏は関ヶ原の戦いでは中立の立場を貫きましたが、積極的に加担しなかったことに対する懲罰的な意味合いがあったようで、常陸54万石から20万石(2代義隆(よしたか)の代に確定)に大幅に減じられたうえでの転封でした。

出羽に入封した佐竹氏は、初めは秋田氏の旧拠点である湊城(秋田市)に居を構えましたが、1603(慶長8)年に神明山に久保田城を築きました。以降、久保田城を拠点として明治維新まで、佐竹氏が久保田藩の藩主を務めることになります。

【秋田の近世の歴史②】減転封され出羽国が領地となった佐竹氏

秋田市の市制100周年を記念して復原された久保田城の御隅櫓(おすみやぐら)。本丸の北西隅に位置していた櫓。

江戸幕府の中で例外的だった久保田藩

久保田藩領は出羽半国でしたが、その面積はかなり広くなっていました。幕府は一国につき一城と定めていました(一国一城令)が、広大な藩領を支配するために、久保田藩では例外的に大館城(おおだてじょう)(大館市)と横手城(横手市)のふたつの支城が認められました

なお、久保田藩が「秋田藩」と名を改めるのは明治に入ってからのことです。

秋田県域に存在した久保田藩以外の藩

秋田県域には久保田藩以外にも由利郡の諸藩(本荘、亀田、仁賀保(にかほ))や旗本領、さらに秋田県北には盛岡藩領がありました。江戸時代約260年のあいだには、途中で改易や新藩の立藩などがあり、明治維新を迎えた時点では秋田県域に政庁を置く藩は5藩(久保田、岩崎、本荘、亀田、矢島)となっていました。

【秋田の近世の歴史③】江戸時代の秋田県域の財政を支えた鉱物資源や木材

江戸時代の秋田県域では鉱山開発が進められ、阿仁銅山(あにどうざん)(北秋田市)や院内銀山(いんないぎんざん)(湯沢市)は国内最大規模の産出量を誇りました。また、秋田杉なども特産品となり、久保田藩の主要な財源となっていきました。

江戸時代の秋田県域の財政難

しかしながら、江戸時代を通して藩財政は慢性的に苦しい状況が続きました。というのも、常陸54万石時代の家臣を抱えたまま秋田20万石に国替えとなったために、藩領に占める家臣の知行地が圧倒的に多かったからです。

鉱山採掘量の減少、たび重なる飢饉などによって藩財政は逼迫し、何度も藩政改革を繰り返しました。その改革のひとつに藩札の発行がありましたが、この経済政策は大失敗に終わり、藩内は激しいインフレに襲われます。ときの藩主・佐竹義明(よしはる)は藩札推進派を粛清するなどの大騒動となりました(秋田騒動)。

財政難は解消することなく、困窮のまま幕末を迎えることになります。

江戸時代の秋田県域の財政難

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Part.1 地図で読み解く秋田の大地

・秋田県の地形総論
・火山の痕跡や地殻変動を体感!男鹿半島ぐるり1周ジオ巡り
・世界最大の二重カルデラ湖「十和田湖」はどうやって生まれた?
・地下にかつての雄物川の流路!? 秋田平野が形成の驚きのしくみ
・黒川や雄物川流域に油田続々!秋田ではどうして油が採れる!?
・ブナ林が発達し海成段丘が縁取る 起伏が激しい白神山地の形成史
・美しき田園・象潟の九十九島は鳥海山の山体崩壊でできた
・大館・鷹巣・鹿角盆地と能代平野 米代川流域に形成された地形の謎

Part.2 秋田を駆ける充実の交通網

・全国2番目のミニ新幹線、E6系「こまち」が走る秋田新幹線
・一部レール幅を変えて新幹線もいく!福島~青森を結ぶ幹線・奥羽本線
・新津~秋田を結ぶ日本海側の動脈 寝台特急「日本海」も走った羽越本線
・米代川に沿って走る本州横断線 スイッチバックも見事な花輪線
・東能代~川部を結ぶ絶景ローカル線 「リゾートしらかみ」が走る五能線
・鷹巣と角館を結ぶ旧国鉄角館線 秋田内陸縦貫鉄道は見どころ満載!
・釜石~横手~本荘を結ぶ大計画も!? 由利高原鉄道鳥海山ろく線がすごい
・小坂鉱山の鉱石輸送のため開業 旅客輸送も担った幻の小坂鉄道/昭和40年代に消えたローカル私鉄 羽後交通の雄勝線・横荘線とは?

Part.3 秋田の歴史を深読み!

・秋田の古代史総論
・大型住居跡やストーン・サークルなど秋田県の縄文遺跡がおもしろい!
・出羽柵が遷置・整備されて秋田城と呼ばれるようになった
・奥羽を支配した出羽の豪族・清原氏が後三年の役により滅亡
・秋田の中世史総論
・八郎潟東岸を拠点とする大河兼任が鎌倉幕府に対して反乱を起こす
・秋田の近世史総論
・佐竹氏の入部以降、鉱山開発が進み鉱業が秋田藩の財政を支えた
・古来より栄えていた舟運に加え街道が整備され交易が盛んに!
・近現代史総論/奥羽越列藩同盟を離脱し新政府側へ 秋田藩の戊辰戦争と戦後のゆくえ
・日本最後の空襲となった土崎空襲 どうして土崎港が狙われたのか?

Part.4 秋田で育まれた産業や文化

・全国屈指の産油量だった秋田県がシェールオイルの開発・商業生産へ
・秋田港、船川港、能代港 三つの重要港湾が海上輸送網の拠点
・国内有数の米どころ・秋田県は農業産出額の5割以上を米が占める
・かつては国内2位の広さを誇る湖!? 八郎潟の干拓と大潟村の歴史
・古来より建材や工芸品に用いられた秋田杉の活用と保存の取り組み
・日本のロケット発祥の地は秋田県の道川海岸だった!
・地熱発電や風力発電などの再生可能エネルギーの導入が加速
・県内各地で伝承されている民俗芸能 国指定重要無形民俗文化財は国内最多!

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