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秋田の近現代史~廃藩置県により秋田県が成立し国内有数の農業県へ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月17日

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秋田の近現代史~廃藩置県により秋田県が成立し国内有数の農業県へ

あたらしい時代を迎え、秋田県が誕生しました。
農業県として日本の近代化を下支えしますが、農村部は不況によって翻弄されるのでした。

【秋田の近現代の歴史①】秋田県の誕生

1868年は、9月8日に慶応から明治へと改元しました。その直後の同月22日、会津藩が新政府軍に降伏を申し入れ、それにともなって久保田藩領に侵攻していた庄内藩などの旧幕府勢力も撤退し、東北における戊辰(ぼしん)戦争は終結しました。

明治政府は出羽国を羽前(うぜん)国と羽後(うご)国に分割し、北部の羽後国には8郡(飽海(あくみ)、秋田、河辺、由利、仙北(せんぼく)、雄勝(おがち)、平鹿(ひらか)、山本)が編入されました。現在の秋田県域における鹿角市と小坂町を除く地域が羽後国となり、同国内には久保田藩、秋田新田藩(久保田藩の支藩でのちに岩崎藩と改称)、矢島藩、本荘藩、亀田藩が存在しました。

廃藩置県によって秋田県域が確定

翌1869(明治2)年には版籍奉還が行われ、各藩の藩主は知藩事に任命されます。その後、1871(明治4)年1月には久保田藩が秋田藩へと名を改めましたが、その直後の7月には廃藩置県が断行され、秋田、岩崎、矢島、本荘、亀田の各藩はそのまま県になり、羽後国という地域区分は廃止されました。このとき飽海郡は松嶺(まつみね)県(のち山形県に編入)の管轄となります。

同年11月の府県統合で岩崎、矢島、本荘、亀田の4県は秋田県に併合されることになり、酒田県(山形県の前身)からは仁賀保(にかほ)氏の旧領が、さらに江刺(えさし)県(のち岩手県に編入)からは鹿角郡が秋田県に移されました。このような経緯で秋田県域が確定しました。

現在、秋田県は1871(明治4)年8月29日を秋田県誕生の日と位置づけて「県の記念日」としています。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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