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土崎港はなぜ狙われたのか?日本最後の空襲となった土崎空襲 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月17日

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土崎港はなぜ狙われたのか?日本最後の空襲となった土崎空襲

終戦直前の8月14日深夜、土崎が空襲を受けました。
アメリカ軍の標的は、土崎に置かれた日本石油秋田製油所でした。

土崎港は秋田県の原油集積地として栄えた

明治以降の近代化において、日本ではエネルギー産業が大きく花開きました。石炭や石油を本格的に採掘するようになりますが、もとより日本は石油資源に乏しく、採掘できる場所は限られていました。

秋田県域でも明治期から調査と試削が行われた結果、旭川油田(秋田市濁川)、桂根・羽川油田(秋田市下浜桂根)、豊川油田(潟上市昭和豊川槻木)、黒川油田(秋田市金足黒川)、八橋(やばせ)油田(秋田市八橋)など数多くの油田が見つかり掘井されました。

石油王国だった秋田県

とりわけ八橋油田は、1935(昭和10)年に日本鉱業が産油を開始すると、次いで日本石油も同地区での産油事業に乗り出します。八橋油田で産出した原油は、土崎の製油所に運ばれて精製されました。土崎は海(港)と陸(鉄道)の交通が整備されており、製油所を置くには最適の立地だったからです。

日本石油秋田製油所は、当時の内地では10番目の規模でしたが、周辺の油田から産出する原油は最盛期には内地における精製石油の生産量の37%を占めるほどであり、この時点で秋田は間違いなく「石油王国」でした。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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