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山梨の水害からの復興と治水事業~明治40年に発生した甲府大水害~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月16日

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山梨の水害からの復興と治水事業~明治40年に発生した甲府大水害~

未曾有の被害をもたらした明治40年の大水害。
この災害を契機として、富士川の支流の笛吹川の改修工事や被災者の北海道移住などが行われました。

山梨では水害が繰り返し発生

山梨県では、明治頃から水害が繰り返し発生するようになりました。中でも1907(明治40)年の大水害は、甲府盆地東部の峡東地方を中心に甚大な被害をもたらしました。

8月22日から28日にかけて降り続けた雨の総降水量は、大月での718mmを最高に、山中湖で643mm、南部で469.3mm、韮崎で404mmにまでに達しました。

この大雨により、重川(おもがわ)や日川(ひかわ)、御手洗(みたらい)川、金川(かねがわ)などの上流域では崩壊が多発し、至る所で家屋の全半壊や集落の孤立、耕地の流失や埋没、交通の寸断などが起きました。死者は233人、流された家は約4500戸、近代における山梨県内最大の災害となりました。

山梨では水害が繰り返し発生

山梨県全体で、死者233人、家屋全壊1267戸、流失4500戸もの激甚な被害を受けました。

山梨では水害が繰り返し発生

笛吹川上流の土砂災害は激甚で、川の崩壊が相次いで起こりました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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