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最上氏の栄枯盛衰~伊達氏とはライバル関係にありながらも出羽を統一した武家~ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月16日

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最上氏の栄枯盛衰~伊達氏とはライバル関係にありながらも出羽を統一した武家~

斯波兼頼を家祖とする最上氏は、室町時代から戦国時代にかけて伊達氏と争っていました。そして「奥羽の驍将」と呼ばれた義光の代に最盛期を迎えます。

最上氏と伊達氏との因縁のはじまり

室町時代後期から戦国時代にかけて、出羽国で勢力を拡大したのは最上(もがみ)氏です。最上氏は山形城(山形市)を拠点に、周辺豪族と婚姻関係を結んで支配基盤を強化していきました。そうしたなかで、1514(永正11)年、家督を相続したばかりの伊達稙宗(たねむね)が山形に攻め込んできました
もともと伊達氏は陸奥国伊達郡(福島県伊達市)を拠点としていましたが、1380(天授6/康暦2)年頃に置賜(おきたま)地方に進出し、長井氏の領地を支配し、出羽国内に足がかりを得ていました。

最上氏は内部から支配されてしまう

伊達稙宗は最上氏の長谷堂城(はせどうじょう)(山形市)を攻略すると、合戦後に伊達稙宗は妹を最上氏の当主・義定の正室として嫁がせます。最上義定(よしさだ)には男児がいなかったため、義定の死後には庶流の中野氏から義守(よしもり)を後継者に招きますが、当時2歳の義守に政治の実権はなく、伊達氏が最上氏を傀儡(かいらい)化して支配力を強めていきました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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