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新潟の歴史を語る上で欠かせない上杉氏と長尾氏 両家の関係とは? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月15日

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新潟の歴史を語る上で欠かせない上杉氏と長尾氏 両家の関係とは?

室町時代に越後国の守護を努めたのは上杉氏でした。その家宰に過ぎなかった長尾氏が、景虎(上杉謙信)の代に戦国大名として雄飛します。

【新潟の歴史】室町時代に任命された守護・上杉氏と守護代・長尾氏の対立

室町時代には、国ごとに幕府から守護が任命され、守護が地方支配を担いました。守護制度は鎌倉時代にも存在しましたが、室町幕府は警察・軍事権だけでなく、武士間の紛争に仲介する権利や司法執行の権利を守護に与えました。さらに荘園や国衙領といった、いわば国有地から年貢を徴収する権利が与えられ、守護の権限は強化されていきます。

国主であった新田義貞の死後、越後国は足利氏の支配下に入ります。足利氏が越後国守護に起用したのが、血縁的に近しい関係にあった上杉氏でした。
『日本史年表・地図 第25版』(吉川弘文館、2019年)を元に作成。

守護代・長尾氏が力をつけ始める

しかし、守護の多くは在京していたため、実際に政務を取り仕切ったのは守護代でした。越後国では室町時代前期から上杉氏が守護を世襲し、守護代は長尾氏が担っていました。ですが、長尾氏が在地で実力をつけると、次第に上杉氏と長尾氏は対立。また、室町幕府の関東統治策が、越後国内の上杉氏と長尾氏の対立に拍車をかけていったのです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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