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八戸港と八戸工業地帯の歴史~セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月15日

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八戸港と八戸工業地帯の歴史~セメント工場の設立をきっかけに漁村から工業地帯に変貌

北東北の工業生産の中心地、八戸臨海工業地帯は、八戸港の開発とともに発展してきました。その背景には、セメントの原料となる石灰石の存在もあります。

八戸港の誕生

北東北随一の工業地帯を抱える八戸市。その中心が八戸港です。海運港としては、湾奥の鮫(さめ)港が江戸時代から長らく使われてきました。ですが、蕪島(かぶしま)を天然の防波堤とするのみの鮫港は、近代的な水上交通に対応できるものではありませんでした。民間では新港の築港、修築の機運が高まり、1919(大正8)年~1932(昭和7)年に防波堤の築造、埋立地の造成が行われました。

八戸港は海外貿易港として開港

いっぽう、のちの工業地帯へとつながる都市整備計画はなかなか進みませんでした。1929(昭和4)年、市制が施行され八戸市になると、ようやく都市計画法が適用され、近代都市へ向けて動き出します。大正時代に地方振興の目的で設立され、松舘で採れる石灰石を原料にセメントを生産していた「日の出セメント」の発展を背景に、大型船に対応できるよう港の改修が進められました。
このときに鮫と湊川口が統合され、「八戸港」が誕生します。1935(昭和10)年には中国・大連と航路がつながり、海外貿易港として開港指定を受けました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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