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太宰治の生涯~「金木の殿様」の家に生まれて津軽で育った少年時代 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月15日

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太宰治の生涯~「金木の殿様」の家に生まれて津軽で育った少年時代

現代でも根強い人気を誇る近代の小説家・太宰治。作品中にしばしば表れる強い不安の根源は何なのか。故郷・津軽で過ごした太宰の半生をたどってみましょう。

【太宰治の生涯】津軽の名家の第10子として産まれる

1909(明治42)年6月19日、金木の大地主である津島家に生まれた太宰治本名を津島修治といいます。父・源右衛門は、津島家が創業した金木銀行の頭取であり、衆議院議員や貴族院議員も務めていました。母・たねは病弱であり、また政治家の妻として多忙を極めていたため、自ら育児をすることはありませんでした。

【太宰治の生涯】津軽の名家の第10子として産まれる

「金木の殿様」と呼ばれた太宰の父・源右衛門が大金をかけて建てた邸宅。津島家の手を離れたあと、旅館「斜陽館」となり、現在は太宰治記念館となっています。

太宰治は叔母と女中に育てられる

生まれたばかりの修治(太宰治)には乳母がつけられますが、1年ほどで津島家を去ります。そのあとは叔母・きゑと、女中の近村タケに育てられます。きゑは修治(太宰治)をわが子のようにかわいがったので、長いあいだ修治(太宰治)はきゑのことを産みの親だと思い込んでいたといいます。
タケは、自分が使っていた尋常小学読本を見せながら修治(太宰治)に文字を教え、修治(太宰治)が5歳ほどになると、日曜学校で本を借りてきて修治(太宰治)に読み聞かせました。
修治(太宰治)が7歳のとき、きゑ一家が五所川原へ分家し、タケもきゑの家の女中として津島家を離れました。初めは修治(太宰治)も五所川原へついていきますが、小学校入学のため金木に戻ります。

太宰治ゆかりの地 金木

太宰治ゆかりの地 金木

太宰治が生まれ育った金木。太宰は『津軽』のなかで金木について「これといふ特徴もないが、どこやら都会ふうにちよつと気取つた町である。善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町といふ事になつてゐるやうである」と書いています。

太宰治記念館「斜陽館」

住所
青森県五所川原市金木町朝日山412-1
交通
津軽鉄道線金木駅から徒歩7分
料金
入館料=大人600円、高・大学生400円、小・中学生250円/津軽三味線会館との共通券=大人1000円、高・大学生600円、小・中学生400円/(20名以上の団体は入館料大人500円、高・大学生300円、小・中学生200円、津軽三味線会館との共通券大人900円、高・大学生500円、小・中学300円、障がい者手帳持参で団体割引料金適応)
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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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