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熊本を中心に装飾古墳群をつくったのは誰だったのか? 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月15日

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熊本を中心に装飾古墳群をつくったのは誰だったのか?

彩りも鮮やかなことで知られる装飾古墳。発見されている装飾古墳のうち、約3割は熊本に集中しています。熊本には独自の文化圏が存在していたのでしょうか⁉

熊本県は装飾古墳の全国総数約3割を占める

装飾古墳とは、内部の壁や石棺に浮き彫りや線刻、彩色などの装飾のある古墳のことで、4世紀末頃から7世紀頃まで造られており、全国に約700基、熊本県内では約200基があります。その中でも有名なのが、山鹿市城字西福寺にあるチブサン古墳ですが、埋葬されているのはかなり重要人物だったと考えられています。

参考資料:『熊本県文化財調査報告第68集 熊本県装飾古墳総合調査報告書』昭和59年3月31日

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