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【山形県の歴史】戊辰戦争敗北から山形県が成立 産業近代化とインフラ整備が進む 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月16日

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【山形県の歴史】戊辰戦争敗北から山形県が成立 産業近代化とインフラ整備が進む

明治以降、産業の近代化と交通網の整備が進みます。地主制で疲弊した農村は戦後の農地改革で安定、しかし近年は、深刻な過疎に直面しています。

【山形県の歴史】幕末へと時代は進み、ついに山形県が誕生する

薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍に対し、東北の諸藩は奥羽越列藩同盟を組んで抗戦しますが、最終的に降伏。同盟諸藩は削封・転封されました。地元の反対運動や多額の献金で転封を阻止した庄内藩のような例もありますが、多くの藩は財政難で次々と廃藩。1871(明治4)年の廃藩置県ですべての藩が廃止され、山形県・米沢県・上山県・天童県・新庄県・大泉(おおいずみ)県・松嶺(まつみね)県の7県となりました。
その数カ月後に置賜(おきたま)県・山形県・酒田県の3県に統合。1876(明治9)年に現在の山形県に統一されたのです。

山形県が成立するまで:1871年4月

奥羽越列藩同盟として戊辰戦争に参戦した山形県内の諸藩は転封などの憂き目にあい、新政府によって新県が設置されました。

山形県が成立するまで:1871年11月

1871(明治4)年11月に置賜県、山形県、酒田県の3県へ統合。1876(明治9)年に3県が統一されて現在の県域となります。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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