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岩崎弥太郎が歩んだ道のり~下級武士から世界の実業家へ 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日:2022年9月19日

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岩崎弥太郎が歩んだ道のり~下級武士から世界の実業家へ

海運業で成功し、三菱(みつびし)グループの基礎を築いた岩崎彌太郎(いわさきやたろう)。地下浪人(じげろうにん)という下級武士の身分から、「東洋の海上王」と呼ばれるまでになった、人生を振り返ります。

岩崎弥太郎は土佐に生まれ、類稀な勤勉さでさまざまな学問を修める

岩崎弥太郎は土佐国安芸郡井ノ口村(とさのくにあきぐんいのくちむら)(現在の安芸市井ノ口)に、地下浪人の子として誕生しました。岩崎家はもともと郷士の身分でしたが、曾祖父の代に困窮して郷士株を売却。郷士より身分は低いが下級武士としての家柄を存続させることが許されました。

岩崎弥太郎の勤勉さは家系によるもの

岩崎家は学問に熱心な家系で、大叔父は近隣で私塾を開いていました。また義伯父・岡本寧浦(おかもとねいほ)は土佐藩有数の儒学者であり、岩崎弥太郎は現在の高知市にあった義伯父の私塾・紅友舎(こうゆうしゃ)でも学んでいます。こうして岩崎弥太郎は、幼いころからさまざまな学問を身に付けていきました。

20歳のとき義伯父の伝で江戸遊学が叶い、安積艮斎(あさかごんさい)の見山楼(けんざんろう)に入塾。非常に優秀な成績を収めますが、父親が庄屋とトラブルを起こして大怪我をしたことから帰国を余儀なくされます。もしここで帰国していなければ、岩崎弥太郎は実業家ではなく学者になっていたかもしれません。

岩崎弥太郎の不遇の時代

帰国した岩崎弥太郎は奉行所に、庄屋にも問題があったのではないかと訴え出ますが聞き入れてもらえず、投獄されてしまいます。
岩崎弥太郎は、獄中での期間を有効に利用。ともに投獄されていた者から算術と商売について学びます。出獄後は謫居(たっきょ)(生家とは別の場所で謹慎生活を送ること)となったため、城下のはずれにある知人の家に間借りし、近所の子どもに勉強を教えるなどして暮らしていました。ちょうどこの時期、吉田東洋(よしだとうよう)も謫居となっており、長浜(現在の高知市長浜)で私塾・少林塾を開いていました。岩崎弥太郎はこの少林塾に入門します。

吉田東洋にその才能を見いだされ、藩の役人として長崎で外国事情の調査を任されます。しかし仕事がうまくいかず、無断で帰国したため役職をとかれました。吉田東洋が暗殺されたこともあり、不遇の時代が続きます。

岩崎弥太郎を社長とする三菱商会が誕生

1866(慶応2)年、土佐藩は長崎で開成館長崎商会(かいせいかんながさきしょうかい)を設立し、欧米列強との貿易を開始。後藤象二郎(ごとうしょうじろう)が責任者を務めていました。後藤は井ノ口村で新田開発や農業に精を出していた岩崎弥太郎を開成館長崎商会の主任に任命。藩の後ろ盾を得た岩崎弥太郎は、大砲や小銃・帆船や砲艦などを精力的に買い付けます。
しかし神奈川や兵庫が開港すると長崎の独占性は失われ、諸外国は本州の港を利用して商売をするようになります。岩崎弥太郎は後藤象二郎に訴え、1869(明治2)年に大阪の開成館大阪商会に異動。責任者として外国商館との取引に当たり、藩の財政に貢献しました

岩崎弥太郎が九十九商会を引き継ぎ三菱商会が誕生

しかしこの時代、維新政府は藩営事業を禁止しようとしていました。維新政府の動きを察知した土佐藩は1870(明治3)年、藩営事業を引き継がせるための私商社・九十九(つくも)商会を設立。廃藩置県後は岩崎弥太郎が、九十九商会の経営を引き継ぎます。1873(明治6)年3月には、岩崎弥太郎を社長とする三菱商会が誕生しました。

岩崎弥太郎の信念は国家的目的を追求

1877(明治10)年の西南戦争では、政府の徴用に応じて社船のほとんどを軍用船として送り込んで政府の信頼を得た結果、三菱商会は国内の海運業を独占しました。その後も岩崎弥太郎は、炭坑・鉱山経営や造船業・銀行業など事業を多角化。個人や会社にとらわれずに国家的目的を追求した岩崎弥太郎の信念は、現在の三菱グループへと引き継がれています。

岩崎弥太郎生家に見る土佐国の風土

安芸市井ノ口には、岩崎弥太郎が生まれ育った生家が現存しています。建築されたのは1795(寛政7)年ごろで、新築ではなく移築したといわれています。岩崎弥太郎本人は1867(慶応3)年に長崎に赴任して以降はほとんど生家に戻っていませんが、家族は1871(明治4)年までここで暮らしています。

家族は高知市に移住し、その後大阪に住んだ後、東京に転居。生家は空き家になりますが、その後も維持管理されています。柱も梁も大部分が当時のままで、床下には「芋つぼ」と呼ばれる貯蔵庫があるなど、江戸時代後期の土佐国の民家の様子を見ることができます。1886(明治19)年に棟上げされた蔵の壁には、水切瓦(みずきりがわら)が取り付けられています。強い雨から壁を守る働きがある、高知県特有の意匠です。

岩崎弥太郎生家

住所
高知県安芸市井ノ口甲1696
交通
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線安芸駅からタクシーで10分
料金
無料

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Part.1 地図で読み解く高知の大地

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・岩石が混ざり合う地質帯メランジュと高知県の台地
・最後の清流と呼ばれる四万十川、その流れと秘密に迫る
・室戸岬の海洋深層水は多分野で利用可能性
・桂浜のカラフルな五色の石はどうやってできた?
・海と大地が交わる場所室戸岬で地球の営みを感じる
・早明浦ダムは「四国の命」治水・利水で4県が受益

・・・などなど高知の自然を解説。

Part.2 高知を駆ける充実の交通網

・高知県の鉄道大動脈土讃線と予土線の歴史と魅力
・人も運んだ魚梁瀬森林鉄道は姿消しても住民になお郷愁
・着工から37年がかりで開通の住民の足、ごめん・なはり線
・3つの日本一を有するとさでん交通の路面電車
・高知県の高速道路整備・津波対策の新たな役割
・跳ね橋の「手結港可動橋」渡れるのは1日7時間

…などなど高知の交通事情を解説。

Part.3 高知で動いた歴史の瞬間

・どうやって都に帰った?土佐日記から見る土佐国
・京都から土佐国へ移住した公家大名・土佐一条氏とは?
・四国全土を1代で征服、姫若子・長宗我部元親の躍進
・広大な土佐国をどう治める?一豊が築いた土佐藩の基礎
・土佐から北アメリカ大陸へ!ジョン万次郎の生涯
・幕末の土佐藩を雄藩に導いた坂本龍馬の軌跡と真実
・明治維新から間もない高知で生まれた自由民権運動

…などなど高知の歴史を徹底解説。

Part.4 高知で生まれた産業や文化

・村の予算を超える売り上げ、馬路村のゆず加工品
・高知県が目指す次世代型施設園芸農業とは
・黒潮の恵みが育むカツオは高知県民のソウルフード
・著名漫画家を多く輩出する高知が育んだまんが文化
・植物の研究に没頭した牧野富太郎博士の功績を知る
・1人1人が主役になれる自由で熱いよさこい祭り

…などなど高知の産業と文化を丁寧に解説。

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