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オホーツク文化と擦文文化の発生と融合 写真: 網走市立モヨロ貝塚館

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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オホーツク文化と擦文文化の発生と融合

樺太を経て南下してきた文化と、本州から北上してきた文化。
このふたつが影響しあい、北海道ならではの文化が形成されていくのでした。

オホーツク文化と擦文文化の形成

続縄文(ぞくじょうもん)時代の後期にあたる5世紀頃、樺太南部から南千島(みなみちしま)にかけてのオホーツク沿岸部に住み着いた人々がいました。彼らは海獣狩猟や沿岸漁労を生活の糧とする「海の民」であり、道央部の続縄文文化・擦文(さつもん)文化とは棲み分けながら、9世紀までオホーツク文化が形成されました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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