フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  関西 > 滋賀県 >

「近江大津宮」は5年だけ存在した都。その全容は今でも謎が多いまま 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

この記事をシェアしよう!

「近江大津宮」は5年だけ存在した都。その全容は今でも謎が多いまま

奈良に平城京が置かれる前、大津に都がありました。わずか5年5か月の短い期間ながら、確かに日本の中心だったのです。ただしそこには謎が残っています。

「近江大津宮」は大化の改新で近江国の大津へ遷都

我が国の歴史において、長く都があった地としては京都と奈良が有名です。しかし、滋賀県にも都が置かれた時期がありました。

時は7世紀。645年に日本最初のクーデターが起こります。当時は蘇我氏による独裁政治が横行しており、これに不満を持った中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)親子を暗殺し、新政権を樹立しました。

翌年、中大兄皇子は、公地公民制、班田収授制(はんでんしゅうじゅせい)、租庸調(そようちょう)の税制などを盛り込んだ「改新の詔(みことのり)」を公布します。いわゆる「大化の改新」です。これにともなって、奈良・飛鳥にあった都は難波に遷(うつ)されます。かと思うと、また飛鳥へ。しばらくの混乱期を経て667年、中大兄皇子は近江国の大津へ遷都。天智天皇(てんじてんのう)として即位を果たしました。

天智天皇によって造営されたこの京都は「近江大津宮」、あるいは「近江大津京」と呼ばれています。現在でも、JR湖西線には「大津京駅」があります。この駅は2007年までは西大津駅でしたが、都の名前にちなんで名称が変更されたのです。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  関西 > 滋賀県 >

この記事に関連するタグ