フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー >  中国 > 山口県 >

「巌流島の戦い」の真相は?一次史料がほとんどないけど有名なストーリー 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

この記事をシェアしよう!

「巌流島の戦い」の真相は?一次史料がほとんどないけど有名なストーリー

宮本武蔵(みやもとむさし)と佐々木小次郎(ささきこじろう)の決闘の地・巌流島(がんりゅうじま)。さまざまな時代劇にも登場するストーリーですが、実はそのほとんどが謎に包まれたままです。

「巌流島の戦い」は、誰がいつ、どのように書き記したのか?

物語の主人公である宮本武蔵は、どのような人物なのでしょうか。彼に関する一次史料は、驚くほど少ないのです。宮本武蔵の著作である『五輪書(ごりんのしょ)』には、1584(天正12)年生まれ・播磨国(はりまのくに)出身とあります。二天一流(にてんいちりゅう)という二刀流を編み出し、島原の乱に参戦。熊本藩の細川家に仕官し、1645(天保2)年5月19日に亡くなります…。宮本武蔵が存命した時代に残されている史料は、この程度です。では今日に伝わる「巌流島での決闘」は、誰がいつ、どのように書き記したのでしょうか。

宮本武蔵とその養子・伊織は、小倉に約8年間滞在しています。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  中国 > 山口県 >

この記事に関連するタグ