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吉田松陰が育てた「維新志士」が集まる長州藩から生まれた明治維新!尊王攘夷から抗幕開国へ… 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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吉田松陰が育てた「維新志士」が集まる長州藩から生まれた明治維新!尊王攘夷から抗幕開国へ…

多くの維新志士や明治時代を支える偉人を輩出した長州(ちょうしゅう)藩。攘夷の決行や二度の長州征討を切り抜け、明治維新を成し遂げたその歩みをひもときます。

吉田松陰が松下村塾を開塾するまでの半生~わずか10歳で兵学を講義、各地遊学を経て自宅で開塾

幕末の動乱期、長州藩の多くの若者たちに思想的影響を与え「維新志士」に成長させたのは、吉田松陰(よしだしょういん)だといっても過言ではないでしょう。萩市(はぎし)では現在でも敬意を込めて、松陰先生と呼ばれています。

叔父に指導を受け、わずか10歳で明倫館(めいりんかん)で兵学を講義します。もともとは山鹿(やまが)流と長沼(ながぬま)流の兵法を修めていましたが、九州や東北に遊学し、西洋兵学や水戸学(みとがく)(天皇の伝統的権威を背景に、儒学と国学を融合させた学問で、尊王攘夷の源流となった)も学んでいます。特に水戸学を学んだときには、「自分は日本のことを知らなかった」と衝撃を受けたといいます

書物を読んで学ぶのではなく、実際に現地を見て学びたい吉田松陰は、1854(安政元)年、条約を結ぶために来日していたペリー艦隊に密航を計画。失敗したため自首し、国元に送り返されます。野山獄(のやまごく)での獄中生活と自宅蟄居(ちっきょ)を経て、1856(安政3)年に自宅で松下村塾(しょうかそんじゅく)を開塾しました。

吉田松陰が直接指導した期間は3年足らずでしたが、身分の隔てなく塾生を受け入れ、すでに明倫館で学んでいた高杉晋作(たかすぎしんさく)(藩士の中核層である大組(おおぐみ)出身)や久坂玄瑞(くさかげんずい)(萩藩医の子)、伊藤博文(いとうひろぶみ)や山県有朋(やまがたありとも)(ともに下級武士出身)などが通っていました。

木戸孝允は松下村塾には通っていませんが、門下生とは親交があり慕われていました。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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