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藤堂高虎は築城の名人だが、主君を7回も変えていた!

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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藤堂高虎は築城の名人だが、主君を7回も変えていた!

戦国大名の藤堂高虎は主君をたびたび変えて出世していきます。最後の主君である家康からは全幅の信頼を得て、幕末まで続く津藩の礎を築きました。

藤堂高虎が築いた名城「伊賀上野城」

伊賀上野城は築城当時、石垣の高さが日本一でした。西側の石垣は、じつに約30m。この名城を築いたのは藤堂高虎です。

上野城は、1585年に筒井定次(つついさだつぐ)によって築城されますが、天守閣は倒壊していたと思われています。家康の命で藤堂高虎が伊賀上野城を修築したのは、1611年のこと。大坂の豊臣方との決戦に備えた攻撃拠点とするもので、藤堂高虎が築城技術のすべてを結集して築いたとされています。

城は、周囲を川に囲まれた台地の上に築かれ、本丸の西と北、南の一部の三方に、長さ368mの石垣がめぐらされていた。
国土地理院標準地図(Vector)を元に作成

伊賀上野城(白鳳城)

住所
三重県伊賀市上野丸之内106
交通
伊賀鉄道伊賀線上野市駅から徒歩5分
料金
入館料=大人600円、小・中学生300円/(30名以上の団体は大人500円、小人250円)
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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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