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日本の博覧会:日本万国博覧会【大阪万博】1970年(大阪府)

1970年、日本初の万博が開かれます。吹田市の千里丘陵で開かれた日本万国博覧会(大阪万博)の会場で表現されたのは、世界各国の新技術や文化を結集して描く未来の世界でした。会場ではモノレールや電気自動車が走り、「動く歩道」が導入されました。テレビ電話や電話線のないワイヤレスフォンなどの製品、ファミリーレストラン(アメリカ館に設けられたステーキハウス)やケンタッキーフライドチキンも初めて紹介されました。これらの製品やサービスはその後、日本に定着していきました。

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大阪万博で注目を集めたもの

芸術家の岡本太郎がデザインし、大阪万博のシンボルとなったテーマ館の太陽の塔のほか、アメリカ館ソ連館などが人気を集めました。とくに、アポロ12号が持ち帰った月の石を展示するアメリカ館には、長蛇の列ができました。目標入場者数3000万人に対し、当時としては万博史上最多人数となる6421万8770人(うち外国人約170万人)が訪れ、戦後の高度経済成長期を象徴する画期的なイベントとなりました。経済効果は当時の価値で2兆円以上だったといわれています。

万博記念公園

住所
大阪府吹田市大阪府吹田市千里万博公園
交通
大阪モノレール万博記念公園駅から徒歩5分
料金
日本庭園・自然文化園共通入園料=大人260円、小・中学生80円/EXPO’70パビリオン=大人210円、中学生以下無料/

日本の博覧会:沖縄国際海洋博覧会【沖縄海洋博】1975年(沖縄県)

沖縄返還交渉が本格化すると、返還後を見越した事業計画が持ち上がりました。
モデルケースとなったのは1970(昭和45)年に大阪で開催された日本万国博覧会で、同年8月15日に琉球政府は日本政府に沖縄での海洋博覧会の開催を要請。日本復帰を目前に控えた1972(昭和47)年3月、沖縄での国際海洋博覧会の開催が正式決定しました。

会場となったのは本部半島(国頭郡本部町)で、海洋を対象とする世界初の国際博覧会(テーマは「海−その望ましい未来」)となりました。会期は1975(昭和50)年7月20日から翌1976(昭和51)年1月18日までの183日間で、36カ国と3つの国際機関が参加。これは当時の博覧会としては世界最大の規模でした。

世界規模の国際博覧会の内容とは

会場内にはパビリオンや海洋生物園、遊園地などが建設され、日本政府は総工費123億円を投じて「アクアポリス」を出展しました。アクアポリスは、未来の海上都市をイメージした半潜水型浮遊式海洋構造物であり、プロデューサーにはマンガ家の手塚治虫を迎え、同博覧会の目玉となりました。この沖縄国際海洋博覧会(以下、沖縄海洋博)には、会期中に合計350万人が来場しました。

沖縄海洋博を通じて沖縄のイメージ向上とPRに成功し、整備された社会資本のおかげで、沖縄では観光産業が花開いていきます。沖縄海洋博の跡地は国営沖縄記念公園(海洋博公園)として整備されました。海洋生物園は会期終了後にも名称を変えながら営業を続け、2002(平成14)年には施設を建て替えて、国内最大級の水族館「沖縄美ら海水族館」としてリニューアルされたのでした。

日本の博覧会:国際科学技術博覧会【つくば万博】 1985年(茨城県)

1985(昭和60)年、わが国で三度目の万国博覧会である国際科学技術博覧会(以下:つくば万博)が、茨城県の筑波研究学園都市で開催されました。つくば万博は、科学技術に対する理解と協力を深め、人類の輝かしい未来の創造に寄与することを目的とし、「人間・居住・環境と科学技術」を統一テーマに掲げ、世界48カ国と37の国際機関が参加する大規模なイベントでした。

国際科学技術博覧会(つくば万博)のパビリオン

会場内には多くの企業や国のパビリオンが立ち並び、当時の最先端技術を駆使したアトラクションが観客を楽しませました。とくに人気を博したのが、NEC C&C パビリオン、富士通パビリオン、鉄鋼館、日本アイ・ビー・エム館、住友館、松下館といった映像展示を主としたパビリオンで、会期中を通していつも長蛇の列ができるほどでした。

そのほかにも、未来の乗り物・リニアモーターカーが会場内に設置された専用軌道を走り、空を見上げればスカイライド(ロープウェイ)ビスタライナー(モノレール)が稼働していました。片やロボットシアターでは二足歩行ロボットが歌い踊り、子どもたちの目をくぎ付けにしました。まるで未来の遊園地のようで、高いアミューズメント性を兼ね備えたつくば万博は、多くの熱狂的なファン(リピーター)を生み出し、世に科学ブームを巻き起こしました。

日本の博覧会:アジア太平洋博覧会【よかトピア】 1989年(福岡県)

全国で39都市が、平成元(1989)年に市制施行100周年記念のイベントを計画しました。その中で福岡市は「アジア太平洋博覧会─福岡’89(愛称よかトピア)」を開催しました。その場所が早良区百道浜と中央区地行浜(じぎょうはま)にまたがるシーサイドももち地区です。百道浜の百と地行浜の地をあわせて「ももち」となりました。

博覧会には、37の国と地域、2つの国際機関が参加、43のパビリオンが建ち並び、171日間で約823万人の入場者を記録しました。博覧会閉幕後に残った施設は、マリゾン福岡タワー福岡市博物館(博覧会時はテーマ館で、平成2(1990)年10月に博物館として開館)、西部ガスミュージアム(平成15(2003)年3月に閉館し解体)の4つのみです。

日本の博覧会:国際花と緑の博覧会【大阪花博】1990年(大阪府)

1990年開催の花博はアジアで初めて開催された国際園芸博覧会です。会場は花にあふれる「野原のエリア」、パビリオンや飲食店、遊園地ゾーンの「街のエリア」、国際庭園が点在する「山のエリア」という3つのエリアで構成されました。閉会後、鶴見スポーツセンターと風車を残し、都市公園として再整備されました。以来、花博記念公園鶴見緑地と呼ばれています。

>>>大阪花博について詳しくはこちら

花博記念公園鶴見緑地

住所
大阪府大阪市鶴見区緑地公園2-163
交通
地下鉄鶴見緑地駅から徒歩5分
料金
施設により異なる

日本の博覧会:2025年日本国際博覧会が開催予定!【大阪・関西万博】(大阪府)

大阪で開かれる3度目の国際博覧会となるのが「2025年日本国際博覧会」(大阪・関西万博)です。大阪市此花区にある人工島の夢洲(ゆめしま)で、2025年5月3日から11月3日まで185日間開催されることになっています。

テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。「未来社会の実験場」というコンセプトを掲げ、見るだけでない展示を目指しています。人類共通の難題解決に向けて世界の英知を集め、新たなアイデアを発信する機会になりそうです。開催前に府が立ちあげる、世界中の課題や問題解決を共有できるオンラインプラットフォームにも期待が集まっています。アフターコロナでの開催となる大阪・関西万博が地域経済の復活の呼び水となるか、日本中が注目しています。

日本の博覧会:開催されなかった幻の東京万博 1940年(東京都)

昭和15(1940)年、本来ならアジア初となる「五輪」と「万国博覧会」が東京で開催される予定でした。この年は日本建国から2600年の節目にあたり、皇紀二千六百年記念の行事と位置づけられ、日本の躍進ぶりを国の内外に示す国家プロジェクトでした。五輪も夏季大会が東京市(現東京都区部)、冬季大会が札幌市で開催されることが決定していました。しかし、日中戦争の激化などから、どちらも昭和13( 1938)年7月に中止が決まりました。

幻の「万国博覧会」の今に残る痕跡

昭和15(1940)年に完成した日本初の跳ね橋・勝鬨橋。この歴史的建造物は、東京で開催されるはずだった幻の「万国博覧会」の今に残る痕跡です。

関東大震災からの復興を果たし、2つのビッグイベントの開催を迎える高揚感のなか、東京ではさまざまな準備が行われていました。その成果のひとつが、隅田川河口部に築造された日本最大規模の可動橋「勝鬨(かちどき)橋」でした。最大の特徴は、日本初の両開きの跳ね橋という点にあります。また、日本人の手で設計・施工した、日本初の跳開橋でもあるのです。

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