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大阪に残る軍事遺跡!東洋最大の兵器工場もあった軍都の名残 写真:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

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大阪に残る軍事遺跡!東洋最大の兵器工場もあった軍都の名残

大阪府内には明治初期から太平洋戦争期までにつくられた軍事施設の跡が数多く残っています。
兵器工場や砲台、倉庫などの軍事遺跡をたどってみましょう。

【大阪の軍事遺跡】大阪砲兵工廠がある大阪城公園

戦前の大阪は「軍都」でもありました。そのため現在でも多くの軍事遺跡を見ることができます。とくに集積しているのは大阪城公園内です。

最大のものが、太平洋戦争の敗戦まで大口径の火砲を主体とする兵器の製造を担った大阪砲兵工廠です。現在、大阪城の北西、京橋口近くに煉瓦造りの化学分析場の遺構を外部からのみ見ることができます。化学分析場では、新兵器の開発・研究、化学試験などが行われていたといいます。

軍事遺跡・大阪砲兵工廠とは

大阪砲兵工廠は、1870年に現在の大阪ビジネスパーク周辺に設置された大阪造兵司仮庁を起源とします。全盛期の敷地は、現・大阪城ホール、太陽の広場、JR西日本森之宮電車区、地下鉄森之宮検車場、森ノ宮団地まで拡大し、「東洋最大の兵器工場」と呼ばれました。

最大工員数は約6万4000人だったといわれています。太平洋戦争時には、中国本土や南洋などへの兵器の供給拠点となりました。

軍事遺跡・大阪砲兵工廠の水門が現存

大阪城ホールの北西側には、大阪砲兵工廠の荷揚げ門(水門)が現存しています。明治時代、材料の搬入や製品の搬出を船で行っていたために必要だったものです。堀の対岸側から見ることができます。

軍事遺跡でもあるミライザ大阪城

現在、レストランやショップが入居する複合商業施設のミライザ大阪城は、陸軍が第4師 団司令部庁舎として使っていたもの。戦後は大阪市立博物館に生まれ変わり、2001年に現施設として営業を開始しました。夜はライトアップされた天守を屋上から見ることができます。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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